4月3日は日本ペルー友好の日、1899年に790名の日本人がペルーに到着した日に由来
4月3日は「ペルー日本友好の日」です。
日本からペルーに最初に集団移住したのが、1899年(明治32年)。サトウキビ畑や製糖工場で働くために、790名の日本人が移民船「佐倉丸」で横浜港から太平洋を渡り、1899年4月3日にペルーのカヤオ港に到着しました。南米への集団移民としては最も古いものです。これを記念して、移住90周年にあたる1989年にペルー政府が4月3日を「ペルー日本友好の日」として制定しました。
契約労働者としてペルーに渡った最初の日本人たちは、厳しい労働環境、生活環境の中で、多くの人が風土病や過労で倒れ、入植から約1年半後までに790名のうち124人が亡くなったと言われています。
その後も約3万6千人の人たちがペルーに移住。苦難を経ながらも、少しずつペルーの社会で生活の足場を築いていきました。現在ペルーの日系人は、約10万人と推定されています。
日系ペルー人で有名な方といえば、元大統領のアルベルト・フジモリ氏でしょう。娘のケイコ・フジモリ氏も 国会議員となり、過去2度、大統領選挙に出馬していますが、いずれも当選を逃しています。そのほか、沖縄発のバンド「ディアマンテス」のアルベルト城間さんが有名ですね。
ペルーの移住の話でもう一つ。移住100周年にあたる1999年2月(平成11年)に横浜みなとみらい21地区の一角にある臨港パークに、記念石像の「リマちゃん」が設置されています。この「リマちゃん」はペルーの方向を向き、右手を差し出して立っており、訪れた多くの方が友好の握手をされます。ぜひ、一度、訪問してみてください。
ちなみに、ペルーのリマにも同じような銅像「さくらちゃん」が立っています。二つの銅像が両国の友好をつなぐように設置されているんですね。
さて、例年、4月3日あたりに日本またはペルーで記念イベントが開催されます。今年は大使館関係のイベントはWeb上で見つけられませんでした。なお、在京のペルー新大使が4月に着任されるようです。フォルサイト駐日大使の披露会 : 在ペルー日本国大使館
「日本ペルー友好協会八街」の主催では、第3回ペルーフィエスタ2017 en Yachimataが4月9日(日)に開催されます。
【U30のコンパス】「日本で暮らす」本音話せる月1回の相談 学校巡る日系人先生
共同通信の記事「U30のコンパス」で、愛知県の外国人生徒を支援する制度である「語学相談員」を担う日系人にフォーカスが当てられています。
主人公は菊地健二さん(29)。名古屋市周辺の小中学校約30校でポルトガル語による通訳や個別相談を通じ、外国人生徒と教員の間の橋渡しをしています。
菊池さんは、家族とともに16歳で来日。しかし、日本語の壁もあり勉強が困難になったことなどもあり、愚れてしまいヤンキーに。しかし、教会に通い悩みを打ち明けられるようになって更生することができたとのこと。愚れて悪さしたことは後悔しているが、その経験があるからこそ、悩んでいる子供たちの相談になることができると話しています。
菊池さんの仕事は、1日に2校程度を回って、生徒の日本語指導、授業に入っての支援、翻訳、保護者会の通訳などをこなす毎日。特に担任から保護者への進路説明は責任があるからこそ難しい仕事で、間違いがないように気を付けて対応しているということです。
「自信をもって自分の夢をあきらめないで」、菊池さんからの子供たちへのメッセージでした。
さて、菊池さんが働いている「語学相談員」という業務ですが、愛知県における外国人児童生徒に対する支援事業の一環です。愛知県は、日本語指導を必要としている児童生徒の公立学校への在籍数が国内で最も多い県であり(約6千人、2014年)、支援内容が充実しています。
出展:平成27年度 「公立学校における帰国・外国人児童生徒に対するきめ細かな支援事業」に係る報告書の概要(愛知県)
「語学相談員」はポルトガル語4名、スペイン語5名、フィリピノ語2名の計11名体制。「語学相談員」公募における業務内容は以下のようになっています。児童への支援のみならず、保護者に対する支援も含まれていますね。
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業務内容
主に、配置先の教育事務所計画に基づいて公立の小学校または中学校を訪問し、以下の業務を行う。
(1) 日本語指導が必要な児童生徒に対する語学指導の補助及び学校生活に関する相談 ・適応指導 ・教科学習指導の補助
(2) 保護者に対する教育相談及び保護者と学校の意思疎通を図るための通訳
(3) 教科書や学校からの通知文等の翻訳
(4) 指導手引書・教材作成の援助
(5) 親子交流会等に関する援助
(6) 教職員研修会等における助言
(7) 進路指導等における通訳および助言
(8) その他所属長が命じた職務
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「語学相談員」は日系人の他、JICAの日系ボランティア経験者も活躍しているようです。以下は、日系ボランティアとしてブラジルで活動経験のある久保 真希子さんの記事。
出来ることから始めよう、学校での多文化社会に触れて | 「人」明日へのストーリー | JICA中部 - JICA
「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」の第二回会合開催、福岡の海外移住
外務省による「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」の第二回会合が、3月27日に開催されました。結果は以下の外務省のサイトで報告されています。
中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会第2回会合(結果) | 外務省
第一回会合は3月6日に開催されており、概要は過去の投稿を参考にしてください。
第二回会合の概要と、福岡県の移住について簡単にまとめてみました。
1.テーマ
「中南米日系社会の現場と世代交代を踏まえた連携のあり方」
2.発表者等
(1)薗浦外務副大臣挨拶
今回の会合での期待は以下の問題意識を踏まえた議論
①日系社会・団体の現状や交流に関する現状と課題
②従来の日系社会・日系団体の存在感,信頼感をどのように受け渡していくか
③若い世代のリーダー育成に向けて,どのように若い世代に日本への関心を持ってもらうか
(2)福岡県の国際化に寄与する海外福岡県人会のネットワーク(福島福岡県庁企画・地域振興部理事兼国際局長):福岡県が行っている海外の県人会の人材育成事業や県人会のネットワークを生かした福岡県のプロモーション活動について
http://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000242051.pdf
(3)次世代日系社会リーダーの育成・企業と日系社会の関わり等(森本海外日系人協会常務理事):日系社会若手リーダー育成事業等についての提案
3.今後の予定
第三回会合:4月12日(水)
・テーマ別議論(「日系社会の活動の裾野の拡がり」を踏まえた連携のあり方)
i. 非日系人の参画/非日系人への訴求
ii. 様々なネットワークの拡がり
第四回会合:5月9日(火)
・補論
i. 日系社会人材の活用,在日日系社会
・報告書とりまとめ「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」
4.福岡県の海外移住について
福岡県は、海外移住者数が約58,000人と全国で4番目に多い県です。そのため世界9ヶ国21地域に移住者による海外福岡県人会があり、様々な交流事業や、世界福岡県人会も定期的に開催されるなど、世界と福岡を結ぶネットワークが強いことが特徴ともいえます。福岡県出身の日系人としては、有名な方も多く、日系アメリカ人初の連邦議員となったダニエル・イノウエ氏や、初の日系人宇宙飛行士エリソン・ショージ・オニヅカ氏、元ハワイ州知事のジョージ・アリヨシ氏などがいます。
2016年3~6月には、JICAの海外移住資料館で、「ルーツは福岡 夢は世界へ ~世界で活躍する福岡移民~」という企画展が開催されていましたね。
「海外移住資料館だより」2016年春号
在留外国人、2016年末で最多238万人(6.7%増)、ブラジルは人数増も順位は5位に後退
法務省が3月17日に発表したデータによると、2016年末(平成28年末)の在留外国人数が238万2822人で、前年末比6.7%増加。これで4年連続の人数増、そして2年連続で過去最高を更新しています。
法務省:平成28年末現在における在留外国人数について(確定値)
1.国籍別人数
国籍別で見ると、中国が約3万人増加して、首位を継続。2位の韓国は微減。そしてベトナムが36.1%増の19万9990人となり、ブラジルを抜いて第3位となっています。なお、登録された国籍・地域の数は196(無国籍を除く)。
国籍・地域 | 人数 | 構成比 | 増減率 | |
1 | 中 国 | 695,522 | 29.2% | + 4.5% |
2 | 韓 国 | 453,096 | 19.0% | - 1.0% |
3 | フィリピン | 243,662 | 10.2% | + 6.1% |
4 | ベトナム | 199,990 | 8.4% | +36.1% |
5 | ブラジル | 180,923 | 7.6% | + 4.3% |
6 | ネパール | 67,470 | 2.8% | +23.2% |
7 | 米 国 | 53,705 | 2.3% | + 2.7% |
8 | 台 湾 | 52,768 | 2.2% | + 8.3% |
9 | ペ ル ー | 47,740 | 2.0% | + 0.0% |
10 | タ イ | 47,647 | 2.0% | + 5.0% |
そ の 他 | 340,299 | 14.3% | + 9.9% |
2.在留資格別
在留資格別では、技能実習が18.7%増で過去最多。政府が推進している留学が12.4%増となっており、この二つが全体的な増を引っ張っています。なお、不法残留者も6万5270人で3年連続増加しています。
在留資格 | 人数 | 構成比 | 増減率 | |
1 | 永 住 者 | 727,111 | 30.5 | + 3.8% |
2 | 特別永住者 | 338,950 | 14.2% | - 2.8% |
3 | 留 学 | 277,331 | 11.6% | +12.4% |
4 | 技 能 実 習 | 228,588 | 9.6% | +18.7% |
5 | 定 住 者 | 168,830 | 7.1% | + 4.5% |
そ の 他 | 642,012 | 26.9% | +10.3% |
3.ブラジル人(日系人)の増減
ブラジル人の増減について下表にまとめてみました。そのほとんどを定住者である日系人が占めています。2009年のリーマンショックで大きく減少した後、減少傾向が続いていましたが、9年ぶりに増加に転じました。ブラジルの不景気もその原因で、厚生労働省が発表している「外国人雇用の届出状況」を見ても、日本で合法的に就業できる日系人が再び戻ってきているようです。
2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | |
人数 | 308,703 | 313,771 | 309,448 | 264,649 | 228,702 | 20,265 | 190,609 | 181,317 | 175,410 | 173,437 | 180,923 |
増減 | ー | 5,068 | -4,323 | -44,799 | -35,947 | -19,437 | -18,656 | -9,292 | -5,907 | -1,973 | 7,486 |
増減率 | ー | 1.64% | -1.38% | -14.48% | -13.58% | -8.50% | -8.92% | -4.87% | -3.26% | -1.12% | 4.32% |
4.まとめ
日本の雇用情勢が改善している中、日本の労働力不足を実質的に補っている「技能実習」と、政府が公約に掲げる「留学生」の増が在留外国人の増加を引っ張っています(留学生も重要な労働力でもあります)。
また、もう一つ注目されるのが、高度の専門的な能力を持つ外国人の受け入れを促進させるため、2014年(平成26年)に新設された「高度専門職」ビザ。母数は少ないものの、昨年比149%増となっています。
技能実習、留学生、高度専門職、定住者とも、日本に貢献できる人は残っていただきたいと思いますし、そのためには受け入れ態勢を更に整えていくことが必須ですね。
外国人との「共生を考える」第七部、「父から夢バトン」日系人子弟、苦労しながら大学生へ
毎日新聞滋賀県版の特集「共生を考える」第7部のご紹介。2017年1月に掲載されたものです。今回は、3歳で家族とともに来日した日系人女性(三世)ミドリさんの物語。両親は出稼ぎ目的で、忙しい工場勤務。家での会話はポルトガル語で、小学校に入学して初めての日本語での学習に戸惑います。しかし、当初は辛かった学校生活も、2年生で日本語を話せるようになり、3、4年生では家族の通院や父の車検手続きの通訳を引き受けるまでに上達。生活にも慣れて、日本が自分の国だと実感するようになり、家族の意識は「出稼ぎではなく、定住へ」と変わります。
日系人子弟にとって、進学も簡単ではありません。勉強が得意ではなかったミドリさんは、お父さんからの「工場で仕事するのは大変だ。言葉がしゃべれないから、見て覚えて作業をしていく。勉強をしなかったら工場しか残らないよ」という、自身の体験に裏付けされた言葉に発奮。経済的に私立高校はあきらめざるをえなかったが、なんとか公立高校に合格。ブラジルで大学進学をあきらめたお父さんに対して、「すごく勉強して神様が手伝ってくれたら大学に行くね」と誓います。
しかし、そのお父さんはミドリさんが高校一年の時に不幸にも事故で亡くなってしまいます。ミドリさんは定時制高校に転校し働きながら5年かけて卒業。専門学校を経て、京都外大の3年次の編入試験に合格し、今年から晴れて大学生となります。将来は、小学校での日本語教室担当となり、外国籍の児童生徒を同じ気持ちで助けられる先生になることを思い描いているということです。苦労しながらも、父の夢から自分の夢に向かって努力しているミドリさんを応援したいです。
続・ガンバチアール!/上 3歳で来日、一から日本語 小3で家族の通訳
続・ガンバチアール!/中 自身は中退「娘は大学に」 冬の朝、家族に悲報
続・ガンバチアール!/下 編入合格、春から外大生 天国に誓う先生の道
国際移住機関(IOM)スウィング事務局長の来日、移民は「パーフェクトストーム」のただ中
国際移住機関(IOM)のスウィング事務局長が2月末から3月初めにかけて来日し、ワークショップ参加、日本政府や政治家との面談、記者会見等を行いました。その報道、IOMの概要、移民の定義等について主にIOMの情報からまとめました。
1.日本記者クラブでの会見
2017年3月2日に行われた日本記者クラブについて、各紙で報道されていますが、二村 伸NHK解説委員による会見レポートからの抜粋と、公開された会見の映像(日本記者クラブチャンネル)が掲載されていました。
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「パーフェクト・ストームを抜け出るための課題」
世界の移民は約10億人。インドネシアの人口より多く、世界6番目の国に相当する。人類が直面する喫緊の問題だが、状況は悪化し続け、『パーフェクト・ストーム』(複数の厄災が同時に起こる破滅的状況)の真っただ中にあるとスウィング事務局長は警告した。中東やアフリカで紛争や災害が相次ぎながら解決に向けた取り組みが遅れ、欧米では移民や難民をはじめ外国人に対する嫌悪感が強まり、政府も排他的な動きを抑えられない。そうした状況を懸念した発言である。
米国生まれの82歳。ベテラン外交官である。国際移住機関(IOM)トップとして9年間、貧困や差別から逃れ新天地を目指す声なき人々のために世界を飛び回る精力的な活動の源泉は、ナイジェリアやコンゴ民主共和国などアフリカ各国で大使を歴任、アフリカ最後の植民地と言われる西サハラで国連PKOの団長を務め、過酷な現実を自らの目で見つめ、肌で感じとった体験にあるのだろう。
では『パーフェクト・ストーム』からどうやって抜け出すのか。スウィング事務局長は、克服すべき4つの課題を挙げた。1つは「災害や紛争など人道危機と気候変動への対応」。2つ目は「人口動態の変化への対処」。人口が減少し労働力が不足する先進国に若年層が増え続ける途上国から移住を進めること。3つ目に「多様性のある社会形成のための広報・啓蒙活動」。4つ目が「幅広い議論」だという。移民や難民に関する議論が負の側面から捉えられているとして、移住が歴史的にもプラスの影響をもたらしてきた事実に基づいた議論を訴え、メディアの責任にも言及した。
ウィリアム・レイシー・スウィング 国際移住機関(IOM)事務局長 2017.3.2
2.国際移住機関(IOM)とは
国際移住機関(IOM)は、世界的な人の移動(移住)の問題を専門に扱う唯一の国連機関。その前身は、1951年に主として欧州からラテンアメリカ諸国への移住を支援するため、国連システム外に設立された欧州移住政府間委員会(ICEM)。ICEMは、その活動範囲を当初の欧州・ラテンアメリカから徐々に世界各国へと拡大し、1980年には移住政府間委員会(ICM)へと名称が変更され、更に1989年11月の憲章改正を経て国際移住機関(IOM)になった。2016年9月19日、多くの難民・移民が国境を越えて移動せざるを得ない危機的状況を背景に、国際社会の今後の対応を議論した「難民と移民に関する国連サミット」が国連本部で開催された際に、国連に加入。
組織概要(2016年11月現在 )
加盟国: | 165カ国。日本は1993年に加盟 |
代表: | ウィリアム・レイシー・スウィング(事務局長) |
本部: | スイス ジュネーブ |
職員数: | 9,000人以上(うち邦人専門職員は 21 人) |
活動内容: | ①移住と開発分野(専門家交流,移民や帰国者への小規模融資等) ②移住の促進(家族呼び寄せ,渡航手続,語学研修,文化紹介等) ③移住の管理行政(人身取引対策,出入国管理,不法入国対策等) ④非自発的移住(難民・国内避難民支援,帰還・再定住支援, 緊急人道援助,復興支援,除隊兵士の社会復帰,選挙と国民投票等) |
3.ウィリアム・レイシー・スウィング事務局長(Ambassador William Lacy Swing, Director General)
1934年9月11日生まれ、米国ノースカロライナ出身の外交官。アフリカにおいて、米国大使及び国連での長いキャリアを持つ。
大使としての経歴 |
・コンゴ人民共和国大使 (1979–81) |
・リベリア (1981–85) |
・南アフリカ (1989–92) |
・ナイジェリア(1992–93) |
・ハイチ(1993–98) |
・コンゴ民主共和国 (1998–2001) |
国連における経歴 |
・国際連合西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)団長(2001–2003) |
・コンゴ民主共和国・国連PKO団長(2003-2008) |
・国際移住機関(IOM)事務局長(2008-) |
4.「移民」の定義は?
IOMは「移民」を次のとおり定義している:当人の(1) 法的地位、(2) 移動が自発的か非自発的か、(3) 移動の理由、(4) 滞在期間に関わらず、本来の居住地を離れて、国境を越えるか、一国内で移動している、または移動したあらゆる人。
そのうち、IOMでは、移民と人の移動に関連する課題、また、関係国政府の同意に基づいて、国境を越えた人の移動に関するサービスを必要としている移民について、取り組んでいる。
国際(国境を越えた)移民の正式な法的定義はないが、多くの専門家は、移住の理由や法的地位に関係なく、本来の居住国を変更した人々を国際移民とみなすことに同意している。3カ月以上12カ月未満の移動を短期的または一時的移住、1年以上にわたる居住国の変更を長期的または恒久移住と呼んで区別するのが一般的。
5.IOMの日本での活動
日本におけるIOMの活動は1980年代のインドシナ難民受け入れ支援に始まり、近年では、日本を取り巻く人の移動の変化に対応した多様な取り組みへと拡大している。
人身取引(トラフィッキング)対策(移民の性的搾取や強制労働など深刻な人権侵害に立ち向かう活動)
難民の第三国定住(第三国定住とは難民が一時的な庇護国から、恒久的な定住が可能な第三国へ移動し、社会統合すること)
自主的帰国及び社会復帰支援(帰国手続きや帰国後の就業支援等)
6.最後に
スウィング事務局長が『パーフェクト・ストーム』から抜け出すための課題として挙げた4点のうち、日本に最も欠けているのが「幅広い議論」ではないでしょうか。移民の負の側面のみならず、様々なプラスの影響もあることを事実に基づいた議論が必要です。
外国人との「共生を考える」第六部、「異郷でボンジーア」日本のブラジル人学校で学ぶ日系人子弟
毎日新聞滋賀県版の特集「共生を考える」第6部のご紹介。2016年12月に掲載されたものです。今回は、滋賀県にあるブラジル人学校「日本ラチーノ学院」の教師と生徒の話。廃校となった小学校に移転。現在、1歳から高3までの約140人が通っています。授業はブラジルの教科書で行われており、2003年にはブラジル教育省が学校として認可。また日本でも2011年に準学校法人設立の各種学校として認可されたことから、ブラジルと日本の両方で高卒認定試験なしで大学の入学資格を得ることができます。
日系人の親としては、日本の学校になじめない、またいじめの懸念がある、言葉が通じるなどの理由で、このブラジル人学校に通わせているようです。いずれブラジルに帰って進学する可能性も考慮しているのでしょう。しかし、公立小中学校と違って、授業料はどうしても高くなります。朝と昼の給食、送迎付きで月4万数千円とのこと。
補助金としては、県から小中学生数に応じ一人年8万円分の学校運営費補助金が給付されて、国からは高校生に一人年11万8800円の就学支援金が出ているものの、学校の経営も楽ではないとのこと。また、授業料が支払えず、公立小学校に通わざるをえない日系人も多いようです。
2016年12月の高校部卒業生16人は、6人が専門学校へ進学、10人は派遣やアルバイトで働きながら、うち6人はネット授業のある本国の大学で学ぶ予定。残る4人は学費がたまれば帰国し、大学に進学する夢を持っているとのこと。卒業と同時の日本での大学進学は、言葉の壁があって難しいようです。
しかし、記事で紹介されていたマリアナさんは、専門学校への進学後、日本の大学に編入した「希望の星」。彼女のように「派遣で働くだけで終わらない。頑張ればこうなれる」という日系人子弟の新しいキャリアパスを歩んでいる人材も出てきています。頑張ってほしいですね。
ブラジル人学校の今/上 過疎地に通う140人 母国文化を学びたい
ブラジル人学校の今/中 言葉通じる頼みの綱 教室に歓声、課題は経営
ブラジル人学校の今/下 言葉学び日本定住へ 有名大編入、希望の星