日系 Nikkey パートナーズ

日系人、ボランティア、開発について、自分の勉強のためにも書いていきます。

中南米の日系人を描いた映画のまとめ(『エルネスト』が今秋公開されるので)

 チェゲバラと一緒に革命に身を投じた日系ボリビア人を描く映画『エルネスト』が今秋10月に公開されます。フレディ前村という日系人の知られざる生涯を描いた日本・キューバ合作で、オダギリジョーの主演。キューバでの撮影、それからゲバラ本人が訪れた広島のシーンもあります。楽しみですね。

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日系アメリカ人の映画はいろいろありますが、中南米日系人を描いたものは多くはないので、主な映画を以下にまとめてみました。日本未公開のものも入れています。

 

 『サンゴーヨン★サッカー』(2015年 日本)

 群馬県大泉町太田市を舞台に、日本人と日系ブラジル人との交流や友情などを描く作品。日本とブラジルの友好関係となる国道でのストリートサッカーのイベントを企画、そして実現するというストーリー。

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『Silencio roto. 16 Nikkeis(破られた沈黙 16人の日系人)』(2015年 アルゼンチン)

 アルゼンチン軍事独裁政権時代(1976~82年)に政治活動をしていた日系人数十人が「失踪」したまま。そのうちの16人について描いたドキュメンタリー映画

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『時折 グラミーニャの日系家族(Tokiori - Dobras do Tempo)』(2011年 ブラジル)

 ブラジル・ミナスジェライス州郊外にある小さな集落グラミーニャに暮らす日系移民家族の軌跡を美しい映像とともにとらえ、歴史の波に翻弄されながらもたくましく生きる人々の姿を描くドキュメンタリー。

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『孤独なツバメたち~デカセギの子供に生まれて~』(2011年 日本・ブラジル)

 静岡県浜松市に、デカセギの親と共に来日した日系ブラジル人の青年たちの実態をとらえたドキュメンタリー。2008年秋、突然の不況で職を失い、帰国することになった5人の若者たちの2年半を追う。

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『サウダーヂ』(2011年 日本)

 不況によって中心街が“シャッター通り”と化した日本の地方都市を舞台に、そこで生きる土木労働者や日系ブラジル人など海外からの移民労働者の姿を通して、文化摩擦や差別、経済格差の問題を描く。現地で暮らす人々を数多くキャスティングし、生々しい街の姿を伝える。

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『汚れた心(Corações Sujos)』(2011年 ブラジル)

 ブラジルのベストセラーを基に、第二次世界大戦終結後、日系ブラジル人の間で実際に起きた「勝ち組、負け組の抗争」を題材に描いた作品。

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『ブラジルから来たおじいちゃん』(2008年 日本)

 サンパウロ在住、92歳のブラジル移民のおじいちゃんが、デカセギで日本に暮らす2世・3世を訪ねる旅のドキュメンタリー。

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『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』(2008年 中国 香港 ブラジル 日本)

 アジアの才能たちが結集し、ブラジルを舞台に描くクライム・ドラマ。オダギリジョーポルトガル語&中国語のセリフをこなし、サンパウロの裏社会で生きる青年を演じる。

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サルサとチャンプルー』(2007年 日本)

 1920年代から1930年代にかけて、沖縄からキューバへと渡った日系移民1世とその末裔を追うドキュメンタリー。現地での彼らの受難の歴史をインタビューなどから解き明かす。

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『GiNGA ジンガ』(2005年 ブラジル)

 サッカーに人生を捧げる、あらゆる世代のブラジル人たちの日常を収めたオムニバス形式のドキュメンタリー。エピソード3:フットバレーを楽しむ日系ブラジル人のナタリー。

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『Gaijin – Ama me Como Sou(ガイジン2―心の祖国)』(2005年 ブラジル)

 笠戸丸移民のチトエから、彼女のひ孫で混血のヨウコまで四世代の日系女性の姿を通して、二十世紀のブラジルと日系コロニアの歴史を重層的に描く。

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『漂流街~THE HAZARD CITY~』(2000年 日本)

 日系ブラジル人のマーリオは、不法滞在の中国人の恋人ケイと共に日本脱出を図る。在日のチャイニーズマフィア・コウはケイに異常な執着をみせ、ふたりの行く手を阻む……。「不夜城」の馳星周の原作小説を三池崇史監督で描いた無国籍バイオレンス・アクション。

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『KAMIKAZE TAXI』(1995年 日本)

 組に反旗を翻した若いチンピラと、彼と逃亡を共にするペルー育ちの日系人との交流を描くロードムーヴィー。

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『Gaijin - Caminhos da Liberdade(ガイジン1―自由への道)』(1980年 ブラジル)

100年前にブラジルに移民した日系人の姿をドキュメントタッチで描く。

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アンデスを越えて 南米の日本人たち』(1958年 日本)

 南米に移住した日本人達を描く長篇色彩記録映画。「標高八、一二五メートル マナスルに立つ」の毎日映画社と「新中国縦断長篇記録映画 新しき大地」の光報道工芸の共同製作。一八五七年九月から十二月まで、太平洋岸のペルーにはじまり、アンデスを越えて大西洋岸に達する一万五千キロにわたる撮影行。豊富な現地録音が収められてある。

 

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『ハルとナツ 届かなかった手紙』と野際陽子さん

女優の野際陽子さんが6月13日に亡くなられました。数多くのドラマや映画に出演されましたが、日系社会にとっては、2005年にNHKが放送80周年記念ドラマとして5回にわたって放送した『ハルとナツ 届かなかった手紙』のナツ役(平成編)が印象に残っているのではないかと思います。

このドラマは、1934年(昭和9年)、北海道からブラジル・サンパウロに家族とともに移民した姉のハル(9歳)と、眼病のため独り日本に残された妹・ナツ(7歳)の姉妹が主人公。ブラジルで移民として苦難の道を辿ったハル、戦中戦後の激動の日本で生き抜いたナツが、70年ぶりの再会を果たし、互いに書き送りながら「届かなかった手紙」によって離れ離れとなっていた70年間の歳月を埋めていきます。 ストーリーは平成編と昭和編が交錯しながら展開されていきますが、姉のハル役を斉藤奈々米倉涼子、森光子、妹のナツ役を志田未来仲間由紀恵野際陽子のそれぞれ3人がリレーして演じています。

姉のハルと家族のような戦前のブラジル移住者は、その9割がコーヒー農園の契約労働者であり、慣れない南米の土地での厳しい環境で、重労働に耐えて困難の日々を送ったといわれます。ドラマにおいては、2ヶ月に及ぶブラジルロケによりコーヒー園や当時の住居をリアルに再現し、移住者の苦難がとてもよくわかるように描かれています。なお、800人を超える日系人のエキストラも参加しました。

ハルとナツという姉妹の人生を通じて、日本とブラジルの日本人史を描いた壮大なドラマともいえます。その中で、野際さんのクールながらも、姉を慕うナツ役は家族への愛情をしっかりと感じさせてくれる演技でした。涙なくては見られない良質のドラマでああると思います。この機会に是非。

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6月18日は海外移住の日!ブラジルに日系移民が到着した日です。

6月18日は「海外移住の日」です。1908年6月18日に日本人移住者781名を乗せた移民船「笠戸丸」がブラジルのサントス港に初めて入港したことにちなんだもので、1966年に制定されました。

6月18日  海外移住の日|なるほど統計学園

日本から海外各地へ移住した人々の歴史や、国際社会への貢献などを振り返り、日本と移住先国との友好関係を促進するための記念日となっています。ちなみに、ブラジルでも6月18日は「日本人移民の日」とされています。

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毎年、JICA横浜の海外移住資料館では、「海外移住の日」にイベントが開催されていますが、今年(2017年)も以下の通り開催されます。

2017年6月17日(土)~18日(日)

●「移民スゴロク」・「移民カルタ」でタイムスリップ! 11:00~15:00

●日系農園オリジナルコーヒーのドリンクサービス! 11:00~17:00

シンポジウムチラシ

■移民カルタ

 日本人の海外移住の歴史、移住者の生活や心情、日本に住む日系人の生活や思いなど、子どもたちにも知ってほしい移民に関するさまざまな事柄がかるたになっています。絵札の裏には読み札の解説がありますので、遊びを通して楽しみながら学ぶことができます。

移民カルタ

ゆっくり資料館を見て(あまり混んでいませんので快適)、コーヒーをいただくのも良いのでは。

 

 

 

自民党の1億総活躍推進本部の提言書:日系四世の日本における活躍

自民党の1億総活躍推進本部が政府への提言書をまとめました。その中には、「日系四世の日本での活躍」が含まれています。

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日系人については、三世やその配偶者は、就労活動に制限のない在留資格が与えられているものの、四世の場合はかなり制限された資格しかありません。そのため、日系社会のみならず、貴重な労働力として期待する経済界からも、制度の緩和の声が上がっていました。

今回まとめられた1億総活躍推進本部の提言書には、日本語を学びながら働ける四世向けのワーキングホリデー制度の新設とともに、在留資格の拡大の議論も開始することも含まれています。具体的には、以下の通りです。

④ 日系四世の日本における活躍について

 平成2年の「定住者告示」により日系三世までの受入を明確化して以降、多くの日系人が在留することとなり、日本経済及び地域に貢献してきた。その子孫である日系四世の間にも日本に対する多くの期待が寄せられているものの、現行の日系三世までの受入についても、いわゆる「共生」のための取り組みが不十分ではないかという声もあり、その立場について定まっていないのが現状である。日系人は我が国を祖国とする同胞であるとともに、我が国のよき理解者であり、日系四世についても敬愛をもって接する必要がある。その受け入れに関して以下を提言する。

(1)日系四世を日本で受け入れ前段階で、現地での日本文化並びに日本語学習環境を整備する。

(2)日系四世が日本文化と日本語を学べるよう「新しいワーキングホリデー」ともいうべき、制度を確立する。例えば、労働時間に制約をつけない2年間の日本語学習を責務とし、地方自治体や地域が受け入れやすい環境を整備する。

(3)日系四世の将来の在留資格のあり方については、「新しいワーキングホリデー」の下、実施状況を確認しながら、議論を開始することとする。

(引用は以上)

日系人の定住者としての在留資格が四世まで拡大される方向は歓迎すべきことと考えます。ただ、単純な安価な労働者としてではなく、しっかりと日本に定住する生活者として受け入れてほしいところです。また、現在も大きな問題として存在する日系人子弟の教育問題への更なる支援も重要と考えます。

以下のニッケイ新聞の記事に、「もしもブラジルに住み続けたら、多くが大学まで進学してそれなりの職に就ける日系人。訪日したがために、日本社会の下層に組み込まれてしまうのであれば、行かない方が良い」とありますが、本当にそう思います。

www.nikkeyshimbun.jp

 

 なお、1億総活躍推進本部の提言書の全文は以下から参照可能です。

https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/134900_1.pdf

 

ohatyuu.hatenablog.com

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ブラジル・アマゾン・ラーメン Lamen Açu ピリピリと舌を刺激する独特なスープ

ブラジルのサンパウロで話題のアマゾン・ラーメンを食べてきました。

お店の名前はラーメン・アス(Lamen Açu)。ブラジル北部のアマゾン地域にある日系移住地トメアス(Tomé-Açu)出身の方が開店されたラーメン屋です。

一番人気はアマゾン・ラーメン。アマゾンの香辛料を使ったスープが特徴的なラーメンです。ジャンブーというジャングルに生えている舌がピリピリとしびれる香草が入っており、食べている途中で舌を刺激します。しかし、スープはマイルド。麺はストレート細麺でした。そしてアマゾンの川エビがのっています。食べてみる価値ありです。

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アマゾン・ラーメン以外にもいろんなメニューがありました。

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ジャンブーを使ったお酒。試飲させて頂きましたが、かなり舌が痺れます。

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『ボリビア移民の真実』、サンファン入植初期の貴重な回顧録

2009年に出版された『ボリビア移民の真実』を読みました。ボリビアには「オキナワ」と「サンファン」という2つの日系移住地が存在していますが、この本は「サンファン」への入植初期の苦闘を、移住支援機関の農業技術者として勤務した経験をもとに記しています。

ボリビア移民の真実

ボリビア移民の真実

 

筆者は6年以上もの間、サンファンで活動・生活しており、当時の移住地の混乱、移住者たちの苦闘がリアルに描かれています。

 

ボリビアは南米で最も遅く集団移住が計画・実施された国です。1956年に日本とボリビア政府は移住協力協定を締結し、サンファンには1957年6 月に第1 次移住者が到着。しかしながら、移住募集条件であった道路の未整備、不十分な農業調査・移住地適地調査、雨季の長雨や深い森林などの環境条件について移住者への未提供など、計画的な移住とは言えず、その状況で移住を進めた国の責任は大きいと著者は指摘しています。

 

第1 次移住者が到着した1957年は異常な長雨と寒波に襲われるという不運もあり、開拓や営農が進まず、現地からは後続移住者の送り出し中止要請がなされたほど。しかし、日本では労働者の送り出し圧力が強く、既に第2 次移住者の募集が始まっていたため、翌年の第6 次まで移住者が到着。その結果、サンファン移住地はかなりの混乱をきたし、外務省や海協連への抗議のみならず、住民同士の不和まで発生。多くの移住者がアルゼンチンやブラジルに転住、また帰国もされています。

 

移住当時のサンファンを語る際に必ず使われるフレーズに「犬も通わぬサンファンというものがあります。道路も含めた環境の悪さを表現したもので、ブラジル・サンパウロ新聞の記事で大給近達氏(国立民族学博物館名誉教授)の報告を引用しつつ、見出しとして使われたものだそうです。それほど、当時の移住地の中でも、相当、劣悪な状況であったと認識されていたようです。

 

最終的に、サンファンには、第1 次から1992年(平成 4年)の第53次移住まで、302 家族、1,634 名と単身51名の合計1,685 名が移住しました。出身県別に見ると、長崎約46%、福岡9 %、北海道、高知、熊本、東京の順。サンフアン移住地の定着率は20%強ということです。

 

そのサンファン移住地も、2005年には移住50周年、2015年には60周年を迎え、今ではコメ・大豆・小麦・鶏卵などの農産物の生産でボリビア経済に大きく貢献するまでに農業が発展しています。また、移住地へのアクセスや移住地内の道路インフラも整備が進みました。そして、サンファンは市に昇格し、日系二世が初代市長を勤めました。50周年の記事は以下のニッケイ新聞にまとめられています。

www.nikkeyshimbun.jp

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本書や新聞記事に記載されているように、移住当初は、思い描いた営農・生活とはいかず、想像を絶するような苦難があったことは事実です。その厳しい時期を経て、みんなの努力により、今の発展があるのは間違いありません。そして、それを支えたのが、ボリビアへの希望、なのではないでしょうか。「ボリビア開拓の歌」(若槻泰雄氏作詞)にも、移住当初の意気込みが、生き生きと表現されています。

  万里遥かなアマゾンの源

  千古未踏の大密林に

  新たなる希望の灯は輝いて

  眠れる沃野を今ぞ拓かん

  みどりの宝庫よ新天地

  ああボリビアボリビア

  開拓の歌

 

なお、余談ですが、本にも出てくるボリビア生まれの著者の長男は有名なヴァイオリニスト兼指揮者である寺神戸亮氏なんですね。

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安倍総理の北米・ハワイ・中南米の日系人訪問のまとめ:日系人は「日米の未来の希望」、日本と中南米は「Juntos!!(共に)」

安倍総理が、北米や中南米を歴訪される際には、現地の日系社会・日系人との懇談を行うのが恒例になっています。そこで、ここ3年くらいの主なものをまとめてみました。

特に、2014年8月2日のブラジルでの「中南米政策スピーチJuntos!! 」や、その中にある日系社会支援方針が現在の日系人重視につながっていると思われ、重要性が高いものです。また、2016年11月21日のアルゼンチンでの「中南米日系人スピーチ」についても、日系人からの評価が高い内容でした。

 

2014年8月2日中南米政策スピーチJuntos!! &日系団体主催歓迎会」ブラジル・サンパウロ 於:文協ビル

安倍総理は「Juntos!! 日本・中南米協力に限りない深化を 対中南米外交・三つの指導理念」を表明。また。今後の日系社会との関係について「日本人の信用を高めて頂いている日系人の皆さんとの関係をさらに深めていきたい」と明言。日系人関連での具体的な政策として以下を約束。

(1) 2015年が日・ブラジル外交関係樹立120周年であることから、文化面での交流を盛り上げ、日本語教育の普及支援を行っていきます。
(2) 毎年JICAが派遣する日系社会青年・シニアボランティア約60名が日本語、日本文化、福祉、スポーツなどの指導を通じて活躍していますが、これを約100名に大幅増員します。
(3) 若い世代の日本への関心を高めるべく、次世代日系人指導者招聘制度の拡充、日系社会次世代育成研修の100名への倍増を図ります。
(4) 日本政府は日系病院に対する支援として「日系社会ボランティア」の新たな派遣、「日系研修員の本邦研修」等を実施します。今後の拡充を検討する中でのブラジルの医療事情の改善にも貢献できるよう支援します。

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2015年5月1日日系人による歓迎レセプション」アメリカ・ロスアンジェルス 於:全米日系人博物館

日系人こそ、『日米の未来の希望』である」と表現し、「日本日系人の深い絆は、時空を越えてつながり続けると確信する」と力説した。

全米日系人博物館で行われたレセプションで、日系人に謝意を述べる安倍首相

安倍首相が小東京訪問:日本と日系人の絆を確認

 

 

2016年9月22日キューバ日系人との懇談会」キューバハバナ 於:ホテル・メリア・コイーバ

安倍総理は、日系人の努力や苦労に敬意を表し、日系人を通じて日本人の勤勉さがキューバから高く評価されていることは大きな誇りであると挨拶。

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2016年11月19日「ペルー日系人協会訪問・歓迎会」ペルー・リマ 於:日秘劇場

安倍総理から、団結力の強いペルー日系人が培ってきた高い評価を日本国民は誇りに思っており、日本人移住120周年にあたる2019年を日・ペルー交流年として、両国の交流を深める記念の年とする旨述べた。

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2016年11月21日中南米日系人スピーチ」アルゼンチン・ブエノスアイレス、於:沖縄県人連合会会館

中南米のいたるところで日系人が現地の人々から不動の信頼を集め、「架け橋」になっているから、日本と中南米は「Juntos」でやっていける、と明言。現地日系人の感動を呼んだ。

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2016年12月26日日系人との夕食会」アメリカ・ハワイ 夕食会

安倍総理は、ハワイ州における日系人の歴史を振り返りつつ、日系人による日米関係への大きな貢献に対して改めて感謝の意を表した。

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