河野外務大臣が訪問したワシントンDCの「国立日系米国人慰霊碑」
河野外務大臣が、米国訪問中の8月16日(水)、ワシントンDCの「国立日系米国人慰霊碑」を訪問されるとともに、日系人代表者との食事会を行いました。日系人の方々と共に日米関係の一層の強化に貢献していきたい旨述べています。
河野外務大臣の国立日系米国人慰霊碑献花及び日系人関係者との夕食会 | 外務省
大臣が訪問した「国立日系米国人慰霊碑」や食事会で面談した団体について、以下の通りまとめてみました。
国立日系米国人慰霊碑 (National Japanese American Memorial to Patriotism)
第2次世界大戦中に敵国の一部とみなされ強制収容された日系アメリカ人の苦難と自由を訴えた記念碑。ワシントンDCのLouisiana AvenueとNew Jersey Avenue、D Streetが交差する地点の広場に2001年に設置された。有刺鉄線が絡まった2羽の鶴のブロンズ像で、製作者は日系アーティストのNina Akamu。この像を中心に、周囲の壁には全米10ヶ所の強制収容所名と収容人数、アメリカのために戦死した日系人の名前が刻まれている。
ルーズベルトが1942年2月19日に署名した「大統領令9066号」により、強制収容された日系人は約12万人に達する。そして終戦後、1988年8月、レーガン大統領が国の過ちを認め、日系人に対して謝罪と賠償がなされた。そのときの言葉が像の下にある池のふちに刻まれている。
"Here We Admit A Wrong Here We Affirm our commitment As A Nation to Equal Justice Under the Law"
『われわれは過ちを認める。国として法の下では平等であることを断言する』
国立日系米国人慰霊碑財団 (National Japanese American Memorial Foundation)
1988年、レーガン大統領が「市民の自由法(英語版)」(日系アメリカ人補償法)に署名したことを受け、日系米国人退役軍人協会が中心となって「国立日系米国人慰霊碑」を設置するための運動と資金を立ち上げた。慰霊碑設置後は日系人強制収容についての教育活動等を実施している。
日米関係の強化に貢献すべく、2008年に設立された教育的非営利団体。太平洋両岸の多様なリーダーを結集し、ステークホルダーとの交流の場を提供すると共に、コミュニティと政財界にとって有益な課題に取り組む。国際的なネットワークを育み、様々な組織や団体の協力のもとプログラムを展開し、メンバーが日米の当該パートナーと触れ合う場を設けている。本部はワシントンDC、カリフォルニア、ハワイと東京にスタッフを配置。会長はアイリーン・ヒラノ・イノウエ氏。
日系米国人退役軍人協会 (The Japanese American Veterans' Association: JAVA)
第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争に参加した日系米国人退役軍人がメンバーとなり1992年に設立。第二次大戦中の日系人部隊(第442連隊戦闘団)を中心に、日系米国人退役軍人の貢献を紹介する活動を通じ、日系人の地位向上に貢献している。
日系米国人市民連盟(Japanese American Citizens League: JACL)
1929年にアジア系アメリカ人の権利を守る為に設立された団体で、米国内で最古、かつ最大のアジア系アメリカ人人権団体。第二次世界大戦中の日系人強制収容の際には、日系人と連邦政府の仲介的役割を担っていた。また、1970年、80年代には、賠償金請求活動を推し進めるのを援助した。
日系ブラジル人が増加中の島根県出雲を訪問
今年のお盆休みに、島根県の出雲に行ってきました。目的は出雲大社の参拝ですが、以前、以下の記事を見てから、日系ブラジル人が多い街として注目しており、ブラジル文化に触れることができるのではないかと期待もしていました。
記事によると日系ブラジル人のほとんどが出雲村田製作所で働かれているとのこと。人材派遣会社のアバンセ社が仲介したとあります。その他、同業のフジアルテ社も出雲に支店を構えていますね。
アバンセ社は通訳ができる社員約20人を出雲に置き、住宅あっせんや、送迎、病院の付き添い、地域社会に受けれられるため、ごみの分別指導までしているとのことです。
自治体別のブラジル人数を調べてみたところ、2016年3月時点で、出雲市は2,224人で全国19位。静岡県、愛知県、群馬県の各市町が上位を占める中、西日本の出雲市は異色です。出雲市の外国人が全部で3,275人ですので、68%がブラジル人という、驚くべき割合となっています。(福井県の越前市も全く同じ状況)
市区町村別 ブラジル人(2016年3月)
市 区 町 村 | 人数 | ||
1 | 静岡県 | 浜松市 | 9,165 |
2 | 愛知県 | 豊橋市 | 6,937 |
3 | 愛知県 | 豊田市 | 5,984 |
4 | 群馬県 | 大泉町 | 4,340 |
5 | 静岡県 | 磐田市 | 4,100 |
6 | 愛知県 | 名古屋市 | 4,047 |
7 | 群馬県 | 伊勢崎市 | 3,507 |
8 | 愛知県 | 岡崎市 | 3,438 |
9 | 愛知県 | 小牧市 | 3,112 |
10 | 愛知県 | 西尾市 | 3,076 |
11 | 群馬県 | 太田市 | 2,985 |
12 | 三重県 | 鈴鹿市 | 2,850 |
13 | 神奈川県 | 横浜市 | 2,589 |
14 | 岐阜県 | 可児市 | 2,542 |
15 | 福井県 | 越前市 | 2,523 |
16 | 愛知県 | 知立市 | 2,469 |
17 | 愛知県 | 豊川市 | 2,415 |
18 | 静岡県 | 袋井市 | 2,349 |
19 | 島根県 | 出雲市 | 2,224 |
20 | 三重県 | 四日市市 | 2,192 |
出典:在留外国人統計統計表
当然、市側も外国人住民を人口減対策のみならず地域活性化のアクターとして期待しており、様々な多文化共生の施策を実施しています。
外国人の定住化を進めるため「外国人住民を良きパートナー・良き隣人として受け入れ、共に暮らしやすいまちづくりを進める」ことを掲げ、具体的には以下のアクションを取るとしています。
(1)外国人に使いやすい行政窓口の整備
(2)通訳を介した子育て支援
(3)外国人も参加しやすい防災訓練実施
また、子弟の教育や日本語習得にも力を入れており、小中学校に日本語指導員を派遣したり、コミュニティセンターでの日本語教室が開講されたりしています。
以下は、出雲市国際交流室でポルトガル語の通訳・翻訳を担当しながら、出雲市内のコミュニティセンターで、日本語教室を開いている木谷さんの記事。JICA日系社会ボランティアとしてブラジルで活動した経験があるとのことです。
ブラジル人に日本語を教える 木谷恵子さん /島根(毎日新聞2017年8月12日)
さて、このように日系ブラジル人が多い出雲市ですが、今回は、あまり市街をまわる時間がなく、ブラジル文化の存在を感じることができませんでした。(大泉みたいなブラジル度を期待していましたが、そんな状況ではないことはわかりました。)
飲み屋やレストラン、食材店を調べたところ、以下の3店がありました。MK BARは日系ブラジル人の憩いの場のようで行ってみたかったのですが、子連れであったため、断念。BRASPOINTはカーナビで探したのですが、見つけることができず、残念。そのほか、昔はショッピングセンターにブラジル・レストランもありましたが、現在はやっていないようです。
その他、お店を構えてはいないようですが、出雲市内の工場で働くブラジル人らの自宅にブラジル料理の弁当を配達している江藤さんの記事を紹介します。
~異国の地からIターン 夢育てるブラジル料理 江藤エリカさん /島根(毎日新聞2017年1月31日)
日系ブラジル人と共生を目指している出雲市。今後、ブラジル人の活力を上手く取り込みつつ、街が活性化していくといいですね。近いうちに、また訪問してみたいと思います。その時には、街のブラジル化がちょっと進んでいると楽しいのですが。
【訃報】元格闘家のドン・中矢・ニールセン(日系三世)が死去、ルーツは愛媛
昔の格闘技ファンにはお馴染み、1986年に前田日明と異種格闘技戦を戦い、日本の総合格闘技ブームの火付け役にもなった格闘家(キックボクサー)のドン・中矢・ニールセンさんが8月15日、バンコクにて亡くなったとの報道がありました。享年57歳でした。まだ若いのに残念なニュースです。
ドン・中矢・ニールセンといえば、なんといっても、1986年10月9日 - 両国国技館で行われた新日本プロレス「INOKI 闘魂 LIVE」での前田日明と異種格闘技戦です。当時、生放送で見ていましたが、伝統的なプロレスに中心の世界において、衝撃的な一戦でした。前田を格闘王へと導くとともに、UWF、K-1へとつながる格闘技ブームの発端を作った立役者の一人と言えます。ニールセンは、その後も、プロレス、キックで日米で活躍しました。(戦績はWikipediaに詳しくまとめられています;ドン・中矢・ニールセン - Wikipedia)
引退後はタイにてカイロプラクティック院を経営していました。HP上に写真を見つけましたが、なんだか年を取った感じですね。昔はかっこよかった。
【略歴】
ドン・中矢・ニールセン(Don Nakaya Nielsen)
1960年7月8日 - 2017年8月15日
日系三世(祖母が日本人・愛媛県出身)
学歴:
●Whittier College on a football athletic scholarship (大学時代はフットボールをしていたようです。チームの名前がPoetsとかわいい感じです。最近の戦績を見ても強くないです。)
●Cleveland Chiropractic College in Los Angeles (ここで1986年にカイロプラクティックの資格を取ったようです。前田と戦った年ですね。もうこの学校は閉鎖されています。)
【愛媛県からの米国移住の歴史】
ドン・中矢・ニールセンは祖母が日本人の日系三世ですが、ルーツは愛媛県にあるようです(昔、週プロか格通でお墓参りの記事を見たような)。「中矢」という姓は愛媛に多い姓です。柔道のメダリストの中矢力選手も愛媛出身ですね。
せっかくなので、愛媛県からの米国移住の歴史を振り返ってみます。
愛媛からの移住先としてはブラジルが第一位となっていますが、米国本土への移住を見てみると、羅府日本人会管轄下(大正八年)によると人数では191人で1.2%にすぎず、全体としては多い県ではありません。戦前・戦後を通じて同様の傾向。ハワイへの移住者も多くはありません。明治元年以降の官約移民も愛媛県人はいない模様(水夫に県人がいたという説もあり)。いずれにしろ、中国地方や九州地方には米国への移住者は多いのですが、四国は全体的に少ないです。
愛媛県移民に関する詳しい資料はありませんが、県民の移民史の中では「打瀬船による若者の密航」が語り継がれているようです。海賊の伝統を持つ者たちが自力で移住を試みたとのこと。勇ましいですね。概略は以下。
「初期移民の多くは、背後は山、前は海で、漁業を主としながらも村上水軍・河野水軍・塩飽水軍など海賊の伝統も持つ冒険心に富んだ南予出身者に多い。明治36年16人の若者が50フィートの打瀬船で出航し、嵐に遭遇しながらも59日目に米国太平洋岸のアレナ海岸に漂着した。無念にも二日目には全員が捕まって強制送還されたが、後にはほとんどがさまざまな経過を辿ってアメリカ移住を果した。」
なお、2010年には「南加愛媛県人会」は創立100周年を迎えています。会員数は100名と、こじんまりとしていますが、日本との交流等は定期的に実施されているようです。
【参考データ等】
データベース『えひめの記憶』「米国への移住」
“アメリカでもっとも成功した日系スーパーマーケット”と呼ばれる
「宇和島屋」創業者・森口富士松とその家族の歴史をたどって
http://www.ccr.ehime-u.ac.jp/rci/nenpo/12/10.pdf
河野・新外務大臣、日系アメリカ人との交流に注力、外国人労働者受け入れに前向きな考えも
外務大臣に就任した河野太郎衆議院議員は、かつてより日系アメリカ人との交流に力をいれており、日本にとって日系人の重要性を説いてきました。
日経ビジネスの記事でも、総理はワシントンだけでなくロスアンジェルスの日系社会を訪問するよう主張しており、それが2013年の岸田外務大臣に続いて、2015年に安倍総理のカリフォルニア訪問の実現にもつながっています。安倍首相が小東京訪問:日本と日系人の絆を確認(Rafu Shimpo)
日系人との連携強化には非常に心強い外務大臣の誕生と期待できそうです。
中南米の日系人との関連では、2006年、法務副大臣時代に「日系人受け入れは失敗であった」として、受け入れ厳格化を進めています。ただ、その主張は、日系人子弟の教育問題などを指摘したうえで、「日本社会として日系人を受け入れる意思も態勢も欠けており、労働力としてしか見ていなかった。失敗を素直に認め、やり直す必要がある」と述べるなど、受入自体を拒絶しているわけではありません。
むしろ、移民や外国人労働者の受入には非常に積極的であるといえ、「日本は人口減少に対応するため、総合的な移民政策を策定する必要がある」と主張しています。またそのための日本語教育の重要性も説いています。
2016年12月に開催されたシンポジウム「これからの移民政策を考える~ブラジリアンコミュニティと浜松・鈴鹿~岡本典之氏×河野太郎氏×末松則子氏×鈴木康友氏」においても、外国人労働者受け入れについて、きちんとしたルールを設けることで「表門を開けて(技能実習のような)裏口を閉める」べきと主張しています。既に外国人やハーフが増えている中で、現実に即した具体的な対応が必要な段階になっていると説明。日本語教育を基本とした多文化共生が重要と述べています。また、二重国籍も容認すべきという考え。外国人受け入れに当たって、労働者の日本語習得、子供の教育が重要であることについては、大いに同意するところです。
日系四世向けビザについて反対ですか、それとも「条件付き賛成」?
日系四世のワーキングホリデービザについて、7月31日付けで読売新聞でも報道されました。
その内容が、ブラジルで下地議員が説明したものと異なるということで、現地日系社会では戸惑いがある模様です。特に、日本語能力(能力試験N4レベル=基本的な日本語を理解できる)が要求されること、家族帯同が不可ということが大きな違いのようです。N4だと、ある程度勉強する必要がありますからね。
ただ、単なる「労働力の確保」ではなく、「次世代を担う4世が日本での生活を体験して現地と日本の懸け橋となる」というワーキングホリデーの主旨に近い内容になっているようにも感じられます。
ニッケイ新聞には下地議員の説明資料も掲載されていますが、具体的な内容は書かれていないですね。
さて、ブラジルを中心に、この四世問題は非常に関心が高く、ブラジルのニッケイ新聞では、13回にわたって「四世ビザについて『条件付き賛成』?」という特集を組んでいます。
特集記事では、日本に滞在経験のある日系人、デカセギ日系人のサポート団体、日系人の人材派遣会社等々、幅広い方々からの賛否両方の意見が出ていて参考になります。以下、いくつか気になる意見・情報を抜き出してみました。
- CIATE(日伯雇用サービスセンター )の調査によると、四世が訪日を望む理由は「観光地を訪れたい」(48・3%)、「職業経歴を積みたい」(43・1%)、「文化交流」(42・9%)、「留学」(34・1%)、「お金を稼ぎたい」(34・1%)の順位。 「生活に追われてお金を稼ぐため」が中心だった従来のデカセギ訪日の頃とは違って、留学や観光の機会として日本就労を望む回答が多い。
- 他方で、就労を希望する四世の多くが「日本語が全くできない」。「日本語もでき、高い能力を持つ人材なら、日本からの進出企業で職が見つかる。普通はそんな人材なら、わざわざ日本で工場労働しようとは考えない。」
- 単純な労働者として行くことに反対の意見としては、これまでの経験から、「ブラジルでの勉強や経験を活かして日本で専門の職を得るのは、とても難しい」、「四世ビザを解禁するにしても、ただの工場労働なら行かない方が良い」、「ブラジルで学歴があるなら、デカセギで日本に行くことはお薦めできない」。
- 特に家族で来日する場合、子どもの教育も含め「日本政府が外国人労働者をちゃんと受け入れる体制」を作ることが条件。「日本側の受入れ体制ができていないのに四世の人全てにビザを与えるのは疑問がある」との意見も。
- 『日本語教育+職業能力育成訓練』という制度があれば、日本人オーナーや工場長の下で、日系人責任者という形で部品加工の2~3次下請けとして、日本の物作りを支えることも可能になる。高齢化が進む日本の中小企業の後継者にもなるかもしれない。こうした未来を見据えた制度が必要。
ブラジル等の現地日系社会に加え、日本国内でも賛否両論があると思います。本制度導入前にはパブリックコメントも求めるようですので、多様な意見を聴取して、より良い制度になることを期待しています。
日系4世向けのワーキングホリデー制度案をブラジル・ペルーで説明
日本維新の会の下地幹郎議員他がブラジル、ペルーを訪問し、日系4世向けに検討されているワーキングホリデー制度について日系団体・日系人に説明されました。
下地議員は以前より日系人支援・連携に積極的で、今年2月には日系4世の定住在留資格について安倍総理に質問し、総理から前向きな答弁を引き出しています。
その後、経済界の期待もあり、自民党の1億総活躍推進本部の提言書に「日系四世の日本での活躍」の項目が設けられ、その具体策として「日本語を学びながら働ける四世向けのワーキングホリデー制度の新設」が提案されました。
下地議員はその提案の具体化に取り組まれているようです。ブラジルの邦字紙の報道からまとめると、制度案の概要は以下の通りです。
●18歳以上の日系4世を対象とした3年間のビザ
●日本語や文化習得のため労働と学習を義務付け(受け入れ先の日本企業にも制度利用者に対する日語研修プログラムの作成と実施が求められる。)
●配偶者や子どもの同伴できる可能性
●3年間のビザ終了後は、(1)4世にそのまま定住権を与える(2)無犯罪の4世に定住権を与える、の2案を検討中
●今年11月から開始される見込み(8月:制度設計、9月:パブリック・コメント、10月:最終検討、11月:確定、法務省の省令として発布)
日本政府はこれまで18ヶ国を対象にワーキングホリデー制度を導入しており、「二国・地域間の相互理解を深めることを趣旨」として、「休暇目的の入国及び滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める」としています。その基本的な要件は、期間は1年、子又は被扶養者を同伴しないこと、有効な旅券と帰りの切符(又は切符を購入するための資金)を所持すること、滞在当初の生計維持に必要な資金を所持すること等です。
従来のワーキングホリデー制度は、その名称のとおり「休暇」が主目的ですが、現在検討されている日系人向けの制度は、「4世の若者が日本に滞在し、働くことができる制度を目指したい」とあるように、やはり「就労」のほうに重点が置かれているようで、外国人の技能実習制度に類似する要素もあるように思われます。
いずれにしろ、日系4世が日本での在留資格を得るチャンスが与えられるという点では非常に重要な一歩です。他方で、配偶者や子供も同伴可能とあり、従来にも増して子弟への教育環境の充実等、しっかりした受け皿作りを同時並行で行う必要があります。
(良い悪いはともかくも)日系人に限らず、日本で働く外国人が増え、それに伴い外国にルーツを持つ子どもが増加している中、単なる労働力ではなく、きちんと家族で生活できる環境・サポート体制を整備することが必須と考えます。
日本、日系人、日系社会、ぞれぞれがWINの関係になるような制度になることを切に望んでいます。近江商人の心得のように三方良しで。
メジャーリーグ2017年前半戦終了、日系人プレイヤーの活躍は?
2017年のMLB前半戦が終了しましたので、日本にルーツを持つ日系人選手の成績をまとめてみました。
クリスチャン・イエリチは悪くはないものの、WBC出場を経てさらに飛躍するかと期待していましたが、昨年と比べると全体的に成績を落としています。ホームランも昨年の21本から、前半は8本のみ。後半戦の活躍が待たれます。カイル・ヒガシオカは初めてメジャーに昇格したのが日本でも話題になりました。しかし初ヒットは出ず。サンチェスが戻ってきてマイナー落ちしてしましたが、次のチャンスをものにしてほしいですね。
今回は、日系アメリカ人だけでなく、日系ブラジル人もリストアップしました。期待はブレーブスにトレードされたゴハラ投手です。AAレベルではまずまずの成績を残しています。
今年、新たに米大学からヒウラや、ブラジルからパルディーニョも米球界入りしました。若手がメジャーに上がることを期待します!
【野手】
1、クリスチャン・スティーブン・イエリチ(Christian Stephen Yelich) 外野手
Miami Marlins
1991年12月5日(25歳)
日系アメリカ3世(母型の祖父が日本人)
LEVEL | 試合 | 打数 | 安打 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | OPS |
MLB | 84 | 325 | 91 | 0.280 | 8 | 43 | 8 | 0.765 |
2、カート・スズキ(Kurt Suzuki) 捕手
Atlanta Braves
1983年10月4日 (33歳)
日系アメリカ3世(祖父母が愛知県名古屋市出身)
LEVEL | 試合 | 打数 | 安打 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | OPS |
MLB | 41 | 128 | 32 | 0.250 | 7 | 24 | 0 | 0.803 |
3、ダーウィン・バーニー(Darwin Barney) 内野手
Toronto Blue Jays
1985年11月8日(31歳)
日系アメリカ3世(母方の祖父が日本人、祖父の苗字は山本)
LEVEL | 試合 | 打数 | 安打 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | OPS |
MLB | 63 | 156 | 36 | 0.231 | 2 | 11 | 3 | 0.572 |
4.カイル・ヒガシオカ(Kyle Higashioka) 捕手
RailRiders (AAA)
New York Yankees
1990年4月20日 (26歳)
日系アメリカ3世
LEVEL | 試合 | 打数 | 安打 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | OPS |
AAA | 13 | 49 | 14 | 0.286 | 2 | 11 | 0 | 0.829 |
MLB | 9 | 18 | 0 | 0.000 | 0 | 0 | 0 | 0.100 |
5.加藤・ジョン・豪将(Gosuke Kato) 内野手
Tampa Yankees (A-Advanced)
1994年10月8日(22歳)
両親とも日本人、カリフォルニア生まれ、日本とアメリカ両方の国籍を持つ。
LEVEL | 試合 | 打数 | 安打 | 打率 | HR | 打点 | 盗塁 | OPS |
A(Adv) | 45 | 152 | 40 | 0.263 | 4 | 20 | 6 | 0.748 |
【投手】
1.ジェレミー・ガスリー(Jeremy Guthrie) 投手
Acereros del Norte (AAA)
Washington Nationals(MLB)
1979年4月8日(37歳)
日系アメリカ4世(母親が日系アメリカ人)
LEVEL | 登板数 | 投球回数 | 勝 | 負 | セーブ | 防御率 | WHIP |
AAA | 8 | 7.2 | 0 | 0 | 0 | 8.22 | 2.61 |
MLB | 1 | 0.2 | 0 | 1 | 0 | 135.00 | 15.00 |
2.ルイス・ゴハラ(Luiz Gohara)
Mississippi Brave(AA)
1996年7月31日(20歳)
LEVEL | 登板数 | 投球回数 | 勝 | 負 | セーブ | 防御率 | WHIP |
AA/A(Adv) | 17 | 76.2 | 4 | 2 | 0 | 2.47 | 1.17 |
3.ジョーダン・ヤマモト(Jordan Yamamoto) 投手
Carolina Mudcats(A-Advanced)
1996年5月11日(20歳)
日系アメリカ3世(日本人を祖父に持つ)
LEVEL | 登板数 | 投球回数 | 勝 | 負 | セーブ | 防御率 | WHIP |
A(Adv) | 13 | 54.0 | 2 | 2 | 1 | 3.50 | 1.28 |
4.ボー・タカハシ(Bo Takahashi) 投手
Visalia Rawhide(A-Advanced)
1997年1月23日(20歳)
LEVEL | 登板数 | 投球回数 | 勝 | 負 | セーブ | 防御率 | WHIP |
A(Adv)/A(Full) | 15 | 82.1 | 5 | 6 | 0 | 3.72 | 1.09 |
5.ダニエル・ミサキ(Daniel Ryuske Missaki) 投手
AZL Brewers (Rookie)
1996年4月9日(21歳)
故障者リスト入りし、登板なし。