日系 Nikkey パートナーズ

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外国人との「共生を考える」第一部、「異国で紡ぐ夢 」日系フィリピン人の少女の努力と周囲のサポート

毎日新聞滋賀県版で2016年6月より「共生を考える」というシリーズものの特集が開始されています。これまで第7部まで継続中。日系人についての記事も多くて、とても良い内容なので、少しづつ紹介していきたいと思います。

まず第1部は「異国で紡ぐ夢 」と題して、日系フィリピン人少女が努力と周囲のサポートにより高校に入学し専門学校を経て立派に社会に出るという内容です。

クリステルの挑戦/上 日本語教室の少女 高校進学あきらめず

 

クリステルの挑戦/中 試行錯誤の2人3脚 入試問題解くうれしさ

 

クリステルの挑戦/下 充実した学校生活 未来へ一歩踏み出そう

 

フォーカスされているクリステルさんは、記事によるとお父さんが日系三世とのこと。つまり彼女は四世。16歳で来日し、草津市の多文化共生支援センター(SHIPS)などの支援を受け、日本語が全くしゃべれない状況から、見事、日本の高校に入学。専門学校を経て、ホテル業界への就職を目指しているということです。もちろん彼女の頑張りもあった上ですが、SHIPSのような支援団体による学習支援も重要ですね。

さて、クリステルさんのお父さんが日系人とありましたが、フィリピンの移住について少し調べてみました。

フィリピンへの移民は主に19世紀末から第2次世界大戦終結までの間に行われ、ダバオ等に約3万人が労働者などでフィリピンにわたったとされています。戦後、反日感情が強くなったことにより、フィリピンに残留した日系人の多くが身分を隠して生活したり、中国人等の養子になって生き延びたということです。1980年代にはいると反日感情が和らいこともあり、フィリピン各地で日系人会が組織され、90年代には、政府や民間団体の支援により、2世の身元や国籍確認が進み、3世、4世の定住ビザ取得ができるようになりました。このため、90年代後半から、身元が判明した日系3世や4世が定住ビザで来日されるようになっています。

他方で、未だ身元が判明しない残留2世が800人以上いるという問題が残っているようです。外務省の情報によると以下の記事も参考になります。

フィリピン残留日系人訪日団による安倍総理大臣表敬 | 外務省

フィリピン残留日系人問題
1 第二次大戦前,多くの日本人労働者が職を求めてフィリピンに移住。1930年代後半の最盛期には,在フィリピン日本人数は約2万4千人に達した。1900年代に米国による山岳道路の建設が行われたルソン島北部のバギオや,アバカ(マニラ麻)栽培が盛んなミンダナオ島のダバオが移住の中心。

2 大戦後,在フィリピン日本人は米軍により日本へ強制送還され,日本人と結婚していたフィリピン人妻とその子供がフィリピンに取り残された。残留日系人の多くは,戦後,フィリピン国内の激しい反日感情のため,山中などに身を隠し,十分な教育と就業の機会を得られず貧窮生活を余儀なくされた。

3 現在も,身元確認や国籍回復を求める残留日系人が存在。

4 日本政府はこれまで,残留日系人の実態調査等を通じて,身元確認や国籍回復を支援している。

 

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