日系 Nikkey パートナーズ

日系人、ボランティア、開発について、自分の勉強のためにも書いていきます。

『七人のトーゴー』戦後アメリカで日系人が咲かせた毒の花

村松友視氏の日系人悪役レスラーを題材にした『七人のトーゴー』を読みました。村松氏は直木賞を受賞した『時代屋の女房』などで有名ですが、1980年代、90年代は『私、プロレスの味方です』を始め、プロレスファンのオピニオンリーダーでもありました。この『七人のトーゴー』は1982年に出版されており、プロレスの書籍を積極的に出版していた時代のものです。(表題も含め、計6つの短編集)

七人のトーゴー (文春文庫 (328‐1))

七人のトーゴー (文春文庫 (328‐1))

 

 物語は洋書店で手に入れたアメリカ「レスリング」誌に「七人のトーゴー」という不思議なタイトルの記事を村松氏が見つけたことに始まります(本人が登場するノンフィクション仕立て)。記事によると、「七人とトーゴー」とは、第二次世界大戦後、アメリカに排出した日系人プロレスラー七人の総称。いずれも真珠湾奇襲攻撃にイメージされる「卑怯なジャップ」像を使って、アメリカ人観客の憎悪をかうことで人気と財産を得悪役、ということです。具体的には、グレート東郷、トシ東郷(ハロルド坂田)、ミスター・モト、キンジ・シブヤ、オーヤマ・カトー、デユーク・ケムオカ、グレート・ヤマトの七人

この記事を契機として、私こと村松氏は「七人のトーゴー」のイメージの原点である真珠湾奇襲攻撃の現場を見るためハワイに旅に出ます。そこで日系レスラーの活躍ぶりについて聞き出すため、力道山時代のレフリーとしても有名な沖識名へインタビューしつつ、「七人のトーゴー」などについて思索するという内容です。

この「七人のトーゴー」それぞれについて、他資料から調べてみた内容をまとめます。

 

1.グレート東郷

本名:George Kazuo Okamura

日本名:岡村 一夫(おかむら かずお)

1911年10月11日 - 1973年12月17日

オレゴン州フートリバー出身

終戦直後にまだまだ残っていた反日感情を利用してヒールとして活躍。当初のリングネームは「軍国主義の頭目」と見られていた東條英機の苗字にあやかった「グレート・トージョー」。しかし「東條」の名字をそのまま使うのはあまりにもアメリカ人を刺激しするとの判断から、同じく著名な軍人である東郷平八郎にあやかって「グレート東郷」に変更したと言われる。窮地に陥ったときの卑屈な懇願のあとの「股間への蹴り」や塩による「目潰し攻撃」などの反則技を売り物とした。卑屈に許しを乞うた後のいきなりの反則は、当時のアメリカ人の観客に「日本軍のだまし討ち」とされていた真珠湾攻撃を連想させ、大いに怒りをかった。このトーゴーのスタイル(卑劣かつ姑息な反則技や薄ら笑い、東洋風のコスチューム、塩をまく「儀式」など)はその後しばらくの間アメリカにおける日本人および日系アメリカ人ヒールレスラーの雛形となり、他の日系人レスラーに受け継がれている。ちなみに、日本のリングでは、頭突き攻撃や空手チョップなどの技を使い、根性溢れるベビーフェイスとして活躍した。

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2.トシ東郷(ハロルド坂田)

本名:Harold "Toshiyuki" Sakata

日本名:坂田敏行(さかた としゆき)

1920年7月1日 - 1982年7月29日

ハワイ州ホノルル出身

プロレス入りする以前にはロンドンオリンピックの重量挙げ(ライトヘビー級)ではアメリカ代表として銀メダルを獲得。プロレスでは反日感情を利用したヒール(悪役)として活躍。またグレート東郷の弟、トシ東郷を名乗り、タッグチーム「トーゴー・ブラザーズ」としても活動。1964年には映画『007 ゴールドフィンガー』でツバに刃物を仕込んだ山高帽を投擲する用心棒のオッドジョブ(Oddjob)を演じ有名となった。

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3.ミスター・モト

本名:Masaru "Charlie" Iwamoto

日本名:岩本勝(いわもと まさる)

1915年8月11日 - 1991年7月6日

ハワイ州ホノルル出身

リングネームは1930年代にヒットした日本人探偵を主人公にしたコミック「ミスター・モト」から取ったもの。ハワイ相撲の横綱を経てプロレス入りし、キンジ渋谷とのタッグで様々なタイトルを取り、またミスター・サトー大木金太郎)とのコンビでWWA世界タッグ選手権を獲得するなど活躍した。

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ちなみに、このリングネームの由来となる日本人探偵「ミスター・モト」は以下に詳しい。

matome.naver.jp


4.キンジ・シブヤ

本名:Robert "Kinji" Shibuya

日本名:渋谷 金持(しぶや きんじ)

1921年5月16日 - 2010年5月3日

ユタ州出身(ロスアンジェルス育ち)

グレート東郷の影響下にある日系ヒールとして、現役選手時代は地元のロサンゼルスやサンフランシスコなどアメリカ西海岸を主戦場に活動。マサ斎藤をはじめ、海外武者修行に出ていた日本人選手を公私に渡ってサポートし、彼らのメンターとなったことから「神風親分」の異名を持つ。

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5.オーヤマ・カトー

本名:Shinichi "Stanley" Mayeshiro

1919年1月7日 - 1961年1月9日

ハワイ出身または沖縄出身のハワイ移民

マネージャーのミスター・スギを引き連れてリングに登場。小柄ながらもテクニシャンだったといわれる。オハイオを中心に活躍し、オハイオ・タッグをタロー・サクローとのコンビで獲得している。活動期間は短く、1961年にテキサス州ヒューストン(カナダのバンクーバー説もあり)でジョー・ゴードンとの試合中に心臓部にドロップキックを受けてショック死するという悲惨な最期を遂げた。

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6.デユーク・ケムオカ

本名:Martin Hisao Tanaka

日本名:田中久雄(たなか ひさお)

1921年4月22日 - 1991年6月30日

カリフォルニア州サクラメント出身

テキサスやフロリダなどのアメリカ南部を主戦場に、同時代の日系レスラーと同じく戦後の反日感情を利用したヒールとして悪名を馳せたが、キャリア後半はベビーフェイスのポジションでも活躍した。アントニオ猪木グレート草津など海外修行時代の日本人選手のタッグパートナー兼メンターも担い、日本陣営の助っ人として日本プロレスにも度々参戦。現役引退後はNWAフロリダ地区のブッカーおよびプロモーターを務めた。

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7.グレート・ヤマト

本名:Toyoki Uyeda

生年月日は不明 - 1960年12月11日

1950年代にアメリカで活躍した日系人で上田トヨキが本名だとする説もある。日本のゴージャス・ジョージと呼ばれ、豪華な衣装をまとい、白人女性の妻(ハナコさんと名乗った)を従えてリングに登場した。ヒールながらいろ男ぶりに女性ファンが多かった。しかし1960年にあまりのもてっぷりに嫉妬した妻に射殺されるという悲惨な最期を迎えた。

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オーヤマ・カトーとグレート・ヤマトについては、SPAの斎藤文彦氏の記事が詳しい。

nikkan-spa.jp

「”トーゴー・スタイル”は、腕と度胸で稼ぎまくったと評されているようなのどかなものではなく、祖国日本、日本軍の真珠湾奇襲攻撃、親たちの皇国崇拝、アメリカ人の白眼視・スパイ視、二世部隊の特攻精神、そして嘘と本当のつなぎ目の判然としない日系アメリカ人という立場・・・それらのあらゆる断片がかき回されて咲いた毒の花」

この本に紹介されている七人のレスラーの他、多くの日系人・日本人がプロレスにおいて活躍してきました。エンターテイメントであるが故に、時代のニーズや社会的背景によって日本人や日系人の役割(ギミック)は変遷してきていますが、かつて第二次大戦後しばらくの間は、このトーゴー・スタイルが最も嫌われた(支持された)悪役キャラクターだったということは記憶しておきたい事実です。

 

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