日系人としては初のゆるキャラ、沖縄観光PRが仕事のハワイ出身の日系三世「マハ朗くん」、ハワイの日系移住の歴史とは。
沖縄観光PRの新キャラクターとして、日系人としては(たぶん)初のゆるキャラとなるハワイ出身の日系三世「マハ朗くん」が誕生しました。
マハ朗くんは、うちなーんちゅ(沖縄県人)のおばあちゃんを持つ日系三世。2016年に沖縄で開催された「世界のウチナーンチュ大会」で「花笠マハエちゃん」(同じく沖縄観光のキャラクター)に一目惚れして来日したという設定です。
ここで、ハワイ出身の日系三世「マハ朗くん」というキャラクター設定にある背景等について調べてみました。
1.ハワイの日本人移民について
ハワイには日系人がたくさんいることはご存知の方が多いと思います。アメリカの州でみると、ハワイ州はカリフォルニア州に次いで日系人人口が多く、そして日系人が政治・経済等のいろんな分野で活躍している州でもあります。ちなみに、アメリカの日系人が130万人、うちハワイには24万人いると推定されています。
日本からハワイへの移民は1868年(明治元年)に始まったので、来年でちょうど150年。官約移民と言われる政府レベル(日本とハワイ王国)での移民が開始された1885年から本格化し、1924年に米国への日本人移民が禁止されるまで、約13万人の日本人がハワイへ渡ったとされています。
沖縄からハワイへの移住は、1899(明治32)年、契約移民26人に始まり、第2次大戦前の1938(昭和13)年までに約2万人がハワイへ移住しています。
ハワイには、「ハワイ日本文化センター」で日本人の移住の歴史を詳しく知ることができます。ハワイに旅行の際には是非訪問してみてください。
私も含めハワイになかなか行けない方は、横浜の「海外移住資料館」が最適です。
2.有名なハワイ日系人
多くに日系人が住むハワイには、政治経済等で活躍されている日系人がいらっしゃいます。その活躍は全米、または日本など。(沖縄系に限らず)以下に何人か紹介させていただきます。
1924年にホノルルで生まれた日系二世。第二次世界大戦ではアメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属。ヨーロッパ前線で戦い、右腕を失う。その後、アメリカで最初の日系人議員となり、アジア系アメリカ人政治家の最高位まで昇りつめた。2012年12月、ワシントンD.C.で死去。最後の言葉は「アロハ(さようなら)」だった。死去に際して、オバマ大統領は「真の英雄を失った」「彼が示した勇気は万人の尊敬を集めた」との声明を発表している。
(2) エリソン・ショージ・オニヅカ: 日系人初のアメリカ航空宇宙局宇宙飛行士
1946年、ハワイ州ハワイ島コナで、コーヒー農家を営む家庭に生まれる。父は福岡県、母は広島県にルーツを持つ日系2世。アメリカ空軍の大佐で、日系人初のアメリカ航空宇宙局宇宙飛行士。1986年1月28日、スペースシャトル・チャレンジャーの搭乗運用技術者として搭乗し、チャレンジャー号爆発事故により39歳で殉職する。オニヅカ氏の功績を称え、ハワイ島「マウナケア展望台ビジターインフォメーションステーション」が「オニヅカセンター」と名付けられている。
(3) ジョージ・アリヨシ: アジア系アメリカ人として初めての州知事
1926年、ホノルル生まれの日系二世。両親は豆腐屋経営を経て、クリーニング店を立ち上げ生計を立てたと言われる。戦後、東京でGHQの通訳を務めた経験を有する。大学卒業後は、ハワイで弁護士となった後、政治の道へ。下院議員、上院議員、副知事を経験した後、1974年から1986年にかけて第3代ハワイ州知事を務めた。日系アメリカ人として、またアジア系アメリカ人として初めて州知事となった人物。
1925年、マウイ島生まれの日系二世。少年時代は家業のサトウキビ畑で働く。俊足を買われ、1947年にアメリカンフットボールのサンフランシスコ・フォーティナイナーズに入団。しかし怪我により、1950年に野球に転向。マイナーリーグでプレーしたのち、1951年、日本のプロ野球へ。読売ジャイアンツと中日で活躍した。巨人時代はベストナインを通算7回受賞するなどの活躍で第2期巨人黄金時代を支えた。引退後は長く日本でコーチを務めた。2011年、ハワイで死去。
(5) ジェイク・シマブクロ: ウクレレ奏者
1976年、ホノルル出身の日系5世。稲妻のような超速弾きと正確無比なテクニックを併せ持つ、ウクレレの達人であり、「ハワイのジミヘン」との異名を持つ。日本でも活躍、映画フラガール (2007年) やドラマ等の音楽を担当した。
(5) 番外編:マカダミアナッツ・チョコの産みの親
ハワイのお土産の定番、世界ではじめてマカダミアナッツ・チョコレートを売り出した「ハワイアン・ホースト」社の創業者は、マウイ島出身の日系3世、タキタニ・マモルさんなのです。
創業者のタキタニ夫妻はハワイ出身の日系人 | ハワイ土産の定番。ハワイアン・ホーストのマカダミアナッツ・チョ |
出典:海外移住資料館
3.「世界のウチナーンチュ大会」とは?
「マハ朗くん」がハワイから来日して参加したという設定の「世界のウチナーンチュ大会」は、5年に一度、沖縄から世界に移住した人たちや、その子孫である2世、3世たちが、沖縄に集まり、沖縄県系人のネットワークを構築し、次世代へそのアイデンティティを継承することを目的に行われています。2016年10月27日〜30日には第6回大会が開催され、28カ国・地域から7千人を超える人が集まりました。開会式で夏川りみ、ネーネーズなどが、閉会式ではBEGIN、ディアマンテス、大城バネサなど沖縄出身のミュージシャンが出演し、盛大な会となったようです。
4.まとめ
沖縄からの移住は、その人口に比して非常に多く、親戚の誰かが海外に移住しているとと言われます。今回紹介したハワイの他、アメリカ本土、南米のブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビアなどが多いです。ボリビアには沖縄からの移住者が中心となって開拓したオキナワ移住地もあります。
沖縄の方にとって、それほど移民が身近であり、世界各地にいるウチナーンチュが、今でも深い絆でつながっていると言えます。「マハ朗くん」もそのウチナーンチュの一人なのです。