日系 Nikkey パートナーズ

日系人、ボランティア、開発について、自分の勉強のためにも書いていきます。

山口県周防大島町の「日本ハワイ移民資料館」について:移民の島にある貴重な資料館です。

日本人の海外移住に関する資料館としては、横浜の「海外移住資料館」や神戸の「海外移住と文化の交流センター」が有名ですが、常設・公開している施設として山口県周防大島町(すおうおおしまちょう)に「日本ハワイ移民資料館」もあります。

日本ハワイ移民資料館

日本ハワイ移民資料館

 

なぜ、瀬戸内海に浮かぶ山口県の島に「日本ハワイ移民資料館」があるのか不思議に思うかもしれません。もともと山口県は海外移住の多い県の一つですが、その中でも、ハワイについては大島郡からの移住が突出して多いからなのです。

1885年(明治18年)の第1回官約移民でハワイに渡った日本人944人のうち、山口県出身者が420人、その内数として大島郡からは305人が占めていました。1894年(明治27年)までの10年間の官約移民を通じて、山口県から10,424人がハワイに移住していますが、大島郡からの移住者が3,913人と3分の1以上を占めていたのです。

ちなみに、10年間のハワイ官約移民を都道府県別に見ると、広島県(11,122人)、山口県(10,424人)、熊本県(4,247人)、福岡県(2,180人)、新潟県(514人)の順となっており、やはり広島と山口が多いことがわかります。

瀬戸内海の島である周防大島町からの多かった理由としては、江戸時代中期以降人口増加が著しかった中、島の限られた土地では生活ができず、伝統的に大工・石工・船乗りなどによる出稼ぎが盛んであったこと、さらにハワイ移民の話が持ち上がったころには、全国的な不況に自然災害が加わり、人々は餓死寸前まで追い込まれていた状況であったと言われています。

 

この「日本ハワイ移民資料館」は第1回官約移民船がハワイに到着した1885年(明治18年)2月8日にちなみ、1999年(平成11年)2月8日に開館しました。建物は、本人も移住者であった故福元長右衛門氏の遺族の方から寄贈されたものです。木造瓦葺き入母屋造り二階建てで、1928年(昭和3年)に建造された立派な邸宅です。

館内には、ハワイ移民者の苦難の歴史や、先人が苦労して得た財貨が郷土の文化・経済の発展に貢献した事績、今日に至るまでの交流の歴史が展示されています。

■移民たちの労働と生活コーナー

移民たちの労働や生活の様子を、写真やその道具などから知ることができる。

http://www.town.suo-oshima.lg.jp/data/open/cnt/3/307/1/hawaii-photo2.jpg

■官約移民歴史コーナー

日本訪問時のハワイ国王カラカウア王の写真などが展示してある。

官約移民歴史コーナー

■シアタールーム

移民たちの当時の様子、現在の交流の様子などを、フィルムで見ることができる。

シアタールーム

 

また、この資料館では約13万人の渡航記録を公開しており、多くの日系人が祖先のルーツをたどる目的で訪れています。 もともとは約3万人分の渡航記録を有していましたが、2年ほど前からルーツを探しに来る日系人が増加したため、昨年、外交史料館所蔵の渡航記録の原本を接写し、新たに約10万5000人分を名前から検索できるよう「海外渡航者名簿」を作成したとのことです。

www.yomiuri.co.jp

 

周防大島町に公共交通機関で行くには、JR西日本山陽本線大畠駅から大島観光タクシー乗り合いバス奥畑行きで「屋代橋」下車。そこから徒歩3分の場所です。

東京から行くにはなかなか大変ですが、貴重な資料館ですので、是非、機会があれば訪問しては如何でしょうか。大島大橋から見る瀬戸内海と島の景色は素晴らしいです。

map

 山から見た大島大橋.jpg