日系 Nikkey パートナーズ

日系人、ボランティア、開発について、自分の勉強のためにも書いていきます。

安倍・トランプ夫人が訪問した日本庭園、日本人移住者の想いがつまった場所

毎日新聞の以下の記事を見て、マイアミにも日系人の入植地があったことを知りました。またNHK等の報道によると、「昭恵夫人が、メラニア夫人とともに、日系移民が寄贈した土地に整備された、日本の文化を紹介する博物館や日本庭園を訪れ、池のこいに餌をあげたり、枯れ山水の庭園を散策」とあります。

このマイアミの日系人については、毎日新聞の記事を書かれた川井龍介さんが以下のサイトに詳しく記載されており、また本まで出されていますので、それを参考に少しまとめてみました。

 

「安倍・トランプ会談」の地に眠る日本人移民・酒井醸の夢

http://mainichi.jp/premier/business/articles/20170209/biz/00m/010/004000c

 

まず、昭恵夫人が訪問されたのは、モリカミ博物館・日本庭園(The Morikami Museum and Japanese Gardens)。この名は、用地をパームビーチ郡に寄贈したジョージ・モリカミ(日本名:森上助次)さんにちなんでいます。

courrier.jp

 

そもそも、この地に日本人が移住したのは、1904(明治37)年にさかのぼります。ニューヨークに留学中だった奥平昌国と酒井襄がフロリダに土地を購入し、「ヤマトコロニー」と名づけました、彼らは故郷やアメリカ内から入植者を募り、1910年前後の全盛期にはコロニーの人数は100人を超えてるまで増えたということです。森上さんも入植者の一人でした。

しかし、耕作条件は思ったほど良くなかったようで、農業で成功したものは少なく、徐々に入植者は減少。太平洋戦争が始まる頃には、わずか数家族だけになり、また戦争によって42年にコロニーの土地はアメリカ政府によって没収されたことから、コロニーは実質的に消滅してしまいました。

このような中で、農業を続けて現地にとどまったのが、森上さんでした。戦後は耕作地をとりもどし、更に買い増しつつ、農業を継続。質素な生活ながらも、かなりの規模の土地を有し、またその土地価格が上昇して大きな資産となっていました。森上さんは生涯独身で、現地で家族もいない中、自分の土地を地元のために活かしたいと考え、すべて地元に寄付。その場所に日本庭園と博物館を作る計画が立てられました。そして1977年、この庭園が一般に公開。しかし、森上さんはその日を見ることなく、1年前の1976年89歳で亡くなっています。

世界各所にある日本庭園ですが、多くの日本人、日系人の想いや尽力があって、立てられていることが、よくわかる例です。こうした歴史は大切に引き継いでいく必要があります。

 

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大和コロニー フロリダに「日本」を残した男たち

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