日系 Nikkey パートナーズ

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宮内悠介氏『半地下』アイデンティティ、言語や人種、性や生のあいまいな感覚、プロレスをモチーフに

宮内悠介氏の「半地下」を読みました。宮内氏の処女作に手を加えたものを「カブールの園」とともに収録。

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主人公は日本人の姉弟。事業で失敗した父にニューヨークまで連れてこられ、そのまま置き去りにされた姉ミヤコと弟ユーヤの物語。現実と虚構、生と死、言語、人種など、境目があいまいな「半地下」のような場所で生きていく。

個人的な関心事項で整理すると:

1.アメリカンプロレス

姉のミヤコはプロレスラーとして稼ぐ。米国の人気プロレス団体であるWWEをモチーフに、CEOのビンス・マクマホンやアンダーテイカーなどを想像させるキャラクターも登場する。WWEはマクマホン・ファミリーをストーリー(アングル)に取り込むなど、エンターテイメント路線でブームを起こした団体。(ちなみに、トランプ大統領も登場したこともあり、またマクマホン・ファミリーの母親であるリンダはトランプ政権で中小企業庁長官に就任している。)暴力、色気、不貞、流血、犯罪、下品さなど、様々な悪徳がストーリー(アングル)やレスラーのギミックに使われており、それ故に非難されることもあるが、それも含めてストーリーに取り込んでしまう強さがある。

ミヤコは試合中の事故で死んでしまうが、その死もショーの中で消費される。「これが大がかりな現実逃避なのか、それとも現実に対するカウンターなのかはわからない。現実程度、ひっくるめて虚構に取り込んでやる。そう宣言するエディの声が聞こえてくるようであった。」「現実をまるごと虚構に取り込んでしまえーそのエディの妄執の最たるものが、そして彼なりの最高の弔いが、姉の葬儀の場面だった。」

 

2.アメリカにおけるアイデンティティ

恋人のシャーマンから「ミヨコ」と発言される「ミヤコ」。彼女は間違って発音される「ミヨコ」という名前を気に入っていた。それは「彼女がアメリカで手に入れた新たなアイデンティティであり、人種開放を唱える団体から祖国での発言に合わせるべきという押しつけの批判は、むしろ彼女自身を傷つける。アメリカ人が呼びやすい発音・イントネーションの名前を得ることでアメリカ社会に居場所を見つけるという感覚は理解できるように思います。「私は、自分が自分でなくなりたいとは思わない。」怖いもの知らずの難民の少女というアノニマスではなく、アメリカ人で認められた証として。

 

3.日本語と英語

ユーヤはアメリカに連れていかれたことで、ある日突然英語の世界に投げ込まれた。成長していく過程で、頭の中で英語と日本語が両立せず「英語が自分の中の日本語を追いつめ、日本語が自分の中の英語を追い詰める」感覚に悩む。死の間際で姉が語ったメッセージについてユーヤは「英語の日本語のまじりあった姉の混乱は、エロスを感じさせもした。それは意識レベルを下げての観念や音の記憶の連鎖でしかない。まったくのノイズだ。・・・二重写しの世界のように、英語と日本語の意識が同時に立ち現れる。『ニルヴァーナ』」ニルヴァーナ」とは仏教用語の「涅槃の境地」であり、煩悩の火を吹き消した状態を指す。

 

外国における少年時代の葛藤、心の傷、友情や秘密など、はっきりではなく、とてもあいまいな感覚ではありますが、ぼんやりと切なく心に響く作品。特に姉のミヤコがユーヤに最後に伝えたフレーズが心に残りました。

裕也。I'm still here. ありがとう。

 

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