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日系 Nikkey パートナーズ

日系人、ボランティア、開発について、自分の勉強のためにも書いていきます。

自民党の1億総活躍推進本部の提言書:日系四世の日本における活躍

自民党の1億総活躍推進本部が政府への提言書をまとめました。その中には、「日系四世の日本での活躍」が含まれています。

www.asahi.com

日系人については、三世やその配偶者は、就労活動に制限のない在留資格が与えられているものの、四世の場合はかなり制限された資格しかありません。そのため、日系社会のみならず、貴重な労働力として期待する経済界からも、制度の緩和の声が上がっていました。

今回まとめられた1億総活躍推進本部の提言書には、日本語を学びながら働ける四世向けのワーキングホリデー制度の新設とともに、在留資格の拡大の議論も開始することも含まれています。具体的には、以下の通りです。

④ 日系四世の日本における活躍について

 平成2年の「定住者告示」により日系三世までの受入を明確化して以降、多くの日系人が在留することとなり、日本経済及び地域に貢献してきた。その子孫である日系四世の間にも日本に対する多くの期待が寄せられているものの、現行の日系三世までの受入についても、いわゆる「共生」のための取り組みが不十分ではないかという声もあり、その立場について定まっていないのが現状である。日系人は我が国を祖国とする同胞であるとともに、我が国のよき理解者であり、日系四世についても敬愛をもって接する必要がある。その受け入れに関して以下を提言する。

(1)日系四世を日本で受け入れ前段階で、現地での日本文化並びに日本語学習環境を整備する。

(2)日系四世が日本文化と日本語を学べるよう「新しいワーキングホリデー」ともいうべき、制度を確立する。例えば、労働時間に制約をつけない2年間の日本語学習を責務とし、地方自治体や地域が受け入れやすい環境を整備する。

(3)日系四世の将来の在留資格のあり方については、「新しいワーキングホリデー」の下、実施状況を確認しながら、議論を開始することとする。

(引用は以上)

日系人の定住者としての在留資格が四世まで拡大される方向は歓迎すべきことと考えます。ただ、単純な安価な労働者としてではなく、しっかりと日本に定住する生活者として受け入れてほしいところです。また、現在も大きな問題として存在する日系人子弟の教育問題への更なる支援も重要と考えます。

以下のニッケイ新聞の記事に、「もしもブラジルに住み続けたら、多くが大学まで進学してそれなりの職に就ける日系人。訪日したがために、日本社会の下層に組み込まれてしまうのであれば、行かない方が良い」とありますが、本当にそう思います。

www.nikkeyshimbun.jp

 

 なお、1億総活躍推進本部の提言書の全文は以下から参照可能です。

https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/134900_1.pdf

 

ohatyuu.hatenablog.com

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ブラジル・アマゾン・ラーメン Lamen Açu ピリピリと舌を刺激する独特なスープ

ブラジルのサンパウロで話題のアマゾン・ラーメンを食べてきました。

お店の名前はラーメン・アス(Lamen Açu)。ブラジル北部のアマゾン地域にある日系移住地トメアス(Tomé-Açu)出身の方が開店されたラーメン屋です。

一番人気はアマゾン・ラーメン。アマゾンの香辛料を使ったスープが特徴的なラーメンです。ジャンブーというジャングルに生えている舌がピリピリとしびれる香草が入っており、食べている途中で舌を刺激します。しかし、スープはマイルド。麺はストレート細麺でした。そしてアマゾンの川エビがのっています。食べてみる価値ありです。

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www.nikkeyshimbun.jp

 

アマゾン・ラーメン以外にもいろんなメニューがありました。

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ジャンブーを使ったお酒。試飲させて頂きましたが、かなり舌が痺れます。

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『ボリビア移民の真実』、サンファン入植初期の貴重な回顧録

2009年に出版された『ボリビア移民の真実』を読みました。ボリビアには「オキナワ」と「サンファン」という2つの日系移住地が存在していますが、この本は「サンファン」への入植初期の苦闘を、移住支援機関の農業技術者として勤務した経験をもとに記しています。

ボリビア移民の真実

ボリビア移民の真実

 

筆者は6年以上もの間、サンファンで活動・生活しており、当時の移住地の混乱、移住者たちの苦闘がリアルに描かれています。

 

ボリビアは南米で最も遅く集団移住が計画・実施された国です。1956年に日本とボリビア政府は移住協力協定を締結し、サンファンには1957年6 月に第1 次移住者が到着。しかしながら、移住募集条件であった道路の未整備、不十分な農業調査・移住地適地調査、雨季の長雨や深い森林などの環境条件について移住者への未提供など、計画的な移住とは言えず、その状況で移住を進めた国の責任は大きいと著者は指摘しています。

 

第1 次移住者が到着した1957年は異常な長雨と寒波に襲われるという不運もあり、開拓や営農が進まず、現地からは後続移住者の送り出し中止要請がなされたほど。しかし、日本では労働者の送り出し圧力が強く、既に第2 次移住者の募集が始まっていたため、翌年の第6 次まで移住者が到着。その結果、サンファン移住地はかなりの混乱をきたし、外務省や海協連への抗議のみならず、住民同士の不和まで発生。多くの移住者がアルゼンチンやブラジルに転住、また帰国もされています。

 

移住当時のサンファンを語る際に必ず使われるフレーズに「犬も通わぬサンファンというものがあります。道路も含めた環境の悪さを表現したもので、ブラジル・サンパウロ新聞の記事で大給近達氏(国立民族学博物館名誉教授)の報告を引用しつつ、見出しとして使われたものだそうです。それほど、当時の移住地の中でも、相当、劣悪な状況であったと認識されていたようです。

 

最終的に、サンファンには、第1 次から1992年(平成 4年)の第53次移住まで、302 家族、1,634 名と単身51名の合計1,685 名が移住しました。出身県別に見ると、長崎約46%、福岡9 %、北海道、高知、熊本、東京の順。サンフアン移住地の定着率は20%強ということです。

 

そのサンファン移住地も、2005年には移住50周年、2015年には60周年を迎え、今ではコメ・大豆・小麦・鶏卵などの農産物の生産でボリビア経済に大きく貢献するまでに農業が発展しています。また、移住地へのアクセスや移住地内の道路インフラも整備が進みました。そして、サンファンは市に昇格し、日系二世が初代市長を勤めました。50周年の記事は以下のニッケイ新聞にまとめられています。

www.nikkeyshimbun.jp

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本書や新聞記事に記載されているように、移住当初は、思い描いた営農・生活とはいかず、想像を絶するような苦難があったことは事実です。その厳しい時期を経て、みんなの努力により、今の発展があるのは間違いありません。そして、それを支えたのが、ボリビアへの希望、なのではないでしょうか。「ボリビア開拓の歌」(若槻泰雄氏作詞)にも、移住当初の意気込みが、生き生きと表現されています。

  万里遥かなアマゾンの源

  千古未踏の大密林に

  新たなる希望の灯は輝いて

  眠れる沃野を今ぞ拓かん

  みどりの宝庫よ新天地

  ああボリビアボリビア

  開拓の歌

 

なお、余談ですが、本にも出てくるボリビア生まれの著者の長男は有名なヴァイオリニスト兼指揮者である寺神戸亮氏なんですね。

columbia.jp

安倍総理の北米・ハワイ・中南米の日系人訪問のまとめ:日系人は「日米の未来の希望」、日本と中南米は「Juntos!!(共に)」

安倍総理が、北米や中南米を歴訪される際には、現地の日系社会・日系人との懇談を行うのが恒例になっています。そこで、ここ3年くらいの主なものをまとめてみました。

特に、2014年8月2日のブラジルでの「中南米政策スピーチJuntos!! 」や、その中にある日系社会支援方針が現在の日系人重視につながっていると思われ、重要性が高いものです。また、2016年11月21日のアルゼンチンでの「中南米日系人スピーチ」についても、日系人からの評価が高い内容でした。

 

2014年8月2日中南米政策スピーチJuntos!! &日系団体主催歓迎会」ブラジル・サンパウロ 於:文協ビル

安倍総理は「Juntos!! 日本・中南米協力に限りない深化を 対中南米外交・三つの指導理念」を表明。また。今後の日系社会との関係について「日本人の信用を高めて頂いている日系人の皆さんとの関係をさらに深めていきたい」と明言。日系人関連での具体的な政策として以下を約束。

(1) 2015年が日・ブラジル外交関係樹立120周年であることから、文化面での交流を盛り上げ、日本語教育の普及支援を行っていきます。
(2) 毎年JICAが派遣する日系社会青年・シニアボランティア約60名が日本語、日本文化、福祉、スポーツなどの指導を通じて活躍していますが、これを約100名に大幅増員します。
(3) 若い世代の日本への関心を高めるべく、次世代日系人指導者招聘制度の拡充、日系社会次世代育成研修の100名への倍増を図ります。
(4) 日本政府は日系病院に対する支援として「日系社会ボランティア」の新たな派遣、「日系研修員の本邦研修」等を実施します。今後の拡充を検討する中でのブラジルの医療事情の改善にも貢献できるよう支援します。

www.youtube.com

www.nikkeyshimbun.jp

 

2015年5月1日日系人による歓迎レセプション」アメリカ・ロスアンジェルス 於:全米日系人博物館

日系人こそ、『日米の未来の希望』である」と表現し、「日本日系人の深い絆は、時空を越えてつながり続けると確信する」と力説した。

全米日系人博物館で行われたレセプションで、日系人に謝意を述べる安倍首相

安倍首相が小東京訪問:日本と日系人の絆を確認

 

 

2016年9月22日キューバ日系人との懇談会」キューバハバナ 於:ホテル・メリア・コイーバ

安倍総理は、日系人の努力や苦労に敬意を表し、日系人を通じて日本人の勤勉さがキューバから高く評価されていることは大きな誇りであると挨拶。

www.mofa.go.jp

 

 

2016年11月19日「ペルー日系人協会訪問・歓迎会」ペルー・リマ 於:日秘劇場

安倍総理から、団結力の強いペルー日系人が培ってきた高い評価を日本国民は誇りに思っており、日本人移住120周年にあたる2019年を日・ペルー交流年として、両国の交流を深める記念の年とする旨述べた。

mainichi.jp

 

 

2016年11月21日中南米日系人スピーチ」アルゼンチン・ブエノスアイレス、於:沖縄県人連合会会館

中南米のいたるところで日系人が現地の人々から不動の信頼を集め、「架け橋」になっているから、日本と中南米は「Juntos」でやっていける、と明言。現地日系人の感動を呼んだ。

www.youtube.com

www.kantei.go.jp

 

 

2016年12月26日日系人との夕食会」アメリカ・ハワイ 夕食会

安倍総理は、ハワイ州における日系人の歴史を振り返りつつ、日系人による日米関係への大きな貢献に対して改めて感謝の意を表した。

www.youtube.com

www.nikkei.com

 

日本で活躍する日系人歌手・ミュージシャンのまとめ

アメリカや中南米で活躍している日系ミュージシャンもいますが、日本で活躍している、または活躍した日系人歌手・ミュージシャンをまとめてみました。

 

1.アルベルト城間: ラテン・バンド「DIAMANTES」のボーカル

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出身地:ペルー・リマ(日系三世)

誕生日:1966年6月13日

経歴:

19歳の時、パン・アメリカン歌謡コンクールで優勝し、副賞の航空券で来日。琉球太鼓など古典の芸事を学びながら音楽活動を続け、91年にDIAMANTESを結成。代表曲は『ガンバッテヤンド』(1993年)、『勝利のうた』(1994年)、『魂をコンドルにのせて』(1995年)など。近年は音楽イベント「OKINAWA LATINA」をプロデュース。中南米の日系ミュージシャンを発掘するイベントも企画。

www.youtube.com

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2.マルシア: 歌手・女優・タレントでマルチな活躍

出身地:ブラジル・サンパウロ州モジダスクルーゼス(日系三世)

誕生日:1969年2月14日

経歴:
1985年、ブラジルで開かれたTBSの「TBS歌謡選手権」で準優勝し、スカウトされ来日。1989年1月、『ふりむけばヨコハマ』でデビュー。「第31回日本レコード大賞」や「FNS歌謡祭」では最優秀新人賞など、多くの新人賞を受賞。その後は歌手のみならず、女優・タレントとして活躍。2015年、日伯両国が外交関係樹立120周年を迎えるにあたり、サッカー元日本代表監督のジーコとともに親善大使に任命されるなど、日本とブラジルの友好にも貢献。

www.youtube.com

 

3.小野リサ: ブラジル生まれの日本人ボサノヴァ歌手

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出身地:ブラジル・サンパウロ(ブラジル生まれの日本人)

誕生日:1962年7月29日

経歴:

10歳までの幼少時代をブラジルで過ごし、15歳からギターを弾きながら歌い始め、1989年に27歳でデビュー。ナチュラルな歌声、リズミカルなギター、チャーミングな笑顔で瞬く間にボサノヴァを日本中に広める。ボサノヴァの神様アントニオ・カルロス・ジョビンや、ジャズ・サンバの巨匠、ジョアン・ドナード等の著名なアーティストとの共演や、ニューヨークやブラジル、アジアなどで海外公演を行い、成功を収める。日本におけるボサノヴァの第一人者としてその地位を不動のものとしている。

www.youtube.com

 

4.エリック・フクサキ: ラテン×歌謡の若手シンガー・ソングライター

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出身地:ペルー・リマ(日系三世)

誕生日:1991年4月27日

経歴:

17歳の時にペルーの歌謡コンクールで優勝を果たす。2009年に演歌歌手を志して来日し、宮沢和史主催のイヴェントなどに出演を重ねていく。2011年にオーディション〈FOREST AWARD〉で特別賞を受賞し、翌年に2人組のアルマカミニイトとしてデビュー。2013年よりソロ活動を開始し、2014年4月に『信じるものに救われる/すべての悲しみにさよならするために/追憶』でソロ・デビュー。2015年に『Ai Yai Yai !/行かないでセニョリータ』でシンガー・ソングライターとしての第一歩を踏み出した。

www.youtube.com

 

5.大城バネサ: アルゼンチン出身の若手演歌歌手

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出身地:アルゼンチン・ブエノスアイレス(日系二世)

誕生日:1981年11月26日

経歴:

2001年10月に行われた「NHKのど自慢」アルゼンチン大会に出場し優勝。2002年3月、「NHKのど自慢・チャンピオン大会」にアルゼンチン代表で出場し、海外勢初のグランドチャンピオンとなった。2003年8月、『鷗も飛ばない海だよ』でデビュー。
なお、現在は東京から岐阜県羽島市に拠点を移して活動中である。
2010年6月24日に、自身の飲食店「cafeteria Vanesa /カフェテリア バネサ」をオープンした。2017年には沖縄からアルゼンチンへ渡った移民日系2世として沖縄の良さを世界に伝えたいと、沖縄曲アルバム『沖縄のかほり』を発売。

www.youtube.com

 

6.大城クラウディア: 沖縄とアルゼンチンを歌う日系歌姫 

出身地:アルゼンチン・ブエノスアイレス(日系二世)

経歴:

幼少の頃よりアルゼンチンの日系コミュニティーの中で開催された数々の歌のコンクールに出場し、優勝を重ねた。2001年、アルフレド・カセーロがTHE BOOMの『島唄』を日本語でカバーレコーディングした際に、コーラスとして参加。これで宮沢和史と出逢ったことを契機に、2003年に音楽活動の拠点を日本に移し、宮沢のソロバンドのメンバーとしてヨーロッパや中南米諸国でのライブツアーに参加。2006年からは宮沢が率いる多国籍編成バンド、GANGA ZUMBAのメンバーとしても活動。また、ソロ活動も続け、2011年には故郷のアルゼンチンで収録した3rdアルバム『恋しアルゼンチン』をリリース。

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7.エンジュ(島田デボラ・エンジュ): 2017年4月にデビューしたミス・サンパウロ

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出身地:ブラジル・サンパウロ(日系三世)

経歴:

国内の名門校「EM&Tミュージックスクール」で歌唱力を磨き、演歌では日本音楽サンパウロ州ジュニア大会で優勝、日本音楽ブラジル全国大会で2連覇という偉業を達成。2013年の県連主催フェスティバル・ド・ジャポンのミス日系コンテストで「ミス・サンパウロ」にも輝いた。ブラジルでは映画で主演したりテレビCMに出演するなど女優、歌手として活躍していたが、2014年に本格的に歌手としての勉強をするために来日。2017年4月にシングル『いとおしい/AKUJO未満』でデビュー。

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8.山城カミーラ美幸: ブラジル出身の若手演歌歌手

山城カミーラ美幸

出身地:ブラジル・パラナ州クリチバ(日系三世)
誕生日:1990年12月23日

幼少の頃、祖父母や父親の影響で演歌に魅了され、演歌歌手に憧れ始める。夢に向かって日本に来ることを決心し、2008年に来日。父親と二人暮らしをしながら日本語の勉強と歌の練習に励んだ。2012年に『京都浪漫坂』で歌手デビュー。2017年に4年ぶりのサードシングル『海峡千里』をリリースした。

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9.ケイシー・コスタ: アマゾン生まれ日本育ちの美少女歌手

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出身地:ブラジル・ベレン

誕生日:1986年5月13日

音楽一家に生まれ育ち、父はブラジル北東部で沢山のヒットソングを持つ大物歌手テディ・マックス。8歳で来日、9歳から兄弟と一緒に歌い始め、15歳のときスカウトされ、作曲を始める。19歳でサンパウロトム・ジョビン音楽大学(U.L.M.)に2万人の応募者の中から選抜され帰国。2012年8月に再来日しライヴを再開。2015年11月『ANJO (天使)』でメジャーデビュー。

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10、リンダ3世: 日系ブラジル人によるガールズ・ユニット(2016年に解散

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2013年に結成された、メンバー全員が群馬県育ちの日系ブラジル人によるブラジリアン・ガールズ・ユニット。サンバ、バイリ・ファンキ(英語版)など、ブラジルの音楽を取り入れたサウンド「B-POP」を売りにしていた。基本メンバーは5名。『未来世紀eZ zoo』を含め3つのシングル曲をリリース。2016年、グループ解散解散理由は学業を優先するため。

www.youtube.com

 

11.カルロス・トシキ: オメガトライブのボーカルとして活躍

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出身地:ブラジルパラナ州マリンガ(日系三世)

誕生日:1964年4月7日

経歴:

9歳時にパラナ州歌謡大賞・童謡の部で優勝、ブラジル歌謡協会主催の全ブラジルに出場し16歳時に少年の部で優勝等、ブラジルの日系人社会では有名であった。1982年に来日しソロデビュー。1986年オメガトライブのデビューし、『君は1000%』などのヒット曲を次々とリリース。1991年にオメガトライブ解散、ソロ活動を開始。

www.youtube.com

 

その他、アルゼンチン在住のグース外間さんも過去の投稿で紹介させていただきました。

ohatyuu.hatenablog.com

 

他にも日系人歌手はいると思いますので、随時ご紹介してきます。

 

『ゴースト・イン・ザ・シェル』、ホワイトウォッシングを語る4人の日系女優

 『ゴースト・イン・ザ・シェル』を鑑賞しました。「ホワイトウォッシング」(=アメリカ映画業界で白人以外の役柄に白人俳優が配役されること)の議論があることは知っていましたが、オリジナルのアニメについて全く知識が無く見たので、あまり違和感なく、ハリウッドの娯楽映画として楽しめました。ヨハンソンが演じる「少佐」が(人種を超えて)とてもかっこいい。敢えて言うと、お母さん役の桃井かおりと素子役のヨハンソンが会話するシーンで、素子としてのもう少し日本人的な深い心情描写があったら、さらに良かったと思いました。

映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』 (C)MMXVI Paramount Pictures and Storyteller Distribution Co. All rights Reserved.

さて、日本人役を白人が演じた『ゴースト・イン・ザ・シェル』ついて、アメリカで活躍する4人の日系女優が議論した記事を見つけました。映像も含め以下で見ることができます。(また一部、記事が和訳されているサイトもありますね。)

www.hollywoodreporter.com


「ホワイトウォッシング」の議論は各メディアでなされていますので、他の方にお任せして、今回は、このブログの主旨に鑑み、(個人的に全く知らない)4名の日系人女優のほうに注目して調べてみました。

 

1. Keiko Agena ケイコ・アゲナ

ハワイ州 ホノルル出身の日系人。沖縄系ということですのでアゲナは「安慶名」ですかね。テレビシリーズ『ギルモア・ガールズ』での主人公ローリーの親友レーン役(韓国系アメリカ人少女)で注目されました。2002年にはYoung Artist AwardsのBest Performance in a TV Drama Series - Supporting Young Actressという賞を受賞しています。映画では、『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(2011) や『Lil Tokyo Reporter』 (2012)などに出演経験があります。

以下で故郷であるハワイや、代表作である『ギルモア・ガールズ』など、自身のキャリアや人生を語っています(2015)。

 

www.youtube.com

以下はUnited Healthcareという保険会社のコマーシャルに出演している映像(2016)。

www.youtube.com

 

 

2.   Traci Kato-Kiriyama トレイシー・カトウ・キリヤマ

アーティスト、俳優、作家、教育者、コミュニティ・オーガナイザーなど、多方面で活躍。アジア系アメリカ人による芸術やネットワークの場である『Tuesday Night Project (TNP) 』の共同発起人など、アジア系を中心とした活動を展開しています。日系四世で、LAの日系新聞である羅府新報(Rafu Shimpo)にも記事を投稿。また、ガンであることを公表し、ガンと戦いながらも、活動を継続することを公言しています。

以下は、2011年の映像ですが、彼女の人生やアイデンティティ、考え方などを語っています。

www.youtube.com

 

 

3. Atsuko Okatsuka アツコ・オカツカ

芸人(stand up comedian)、女優、映画製作者。アジア系の女性を中心としたコメディーツアー『Dis/orient/ed Comedy』の共同創設者。また、アジア系芸人による『Stand Up, Asia!』を共同企画するなど、米国のTVショーやネット番組等で活躍。

TVショーでのインタビューです。自分の名前をいじるなどギャグを入れながらトーク

www.youtube.com

早速「ゴースト・イン・ザ・シェル」のパロディも作成しています。ホワイトウォッシングを皮肉る内容。

www.youtube.com

 

 

4, Ai Yoshihara アイ・ヨシハラ

新潟出身の日本人。留学で渡米し結婚を経てアメリカで女優になったようです。『Heroes』や『フラッシュフォワード』などテレビドラマシリーズに出演するとともに、『The Legend of Shizuko Nishimura』『追憶の森』 などの映画にも出演しています。

 

 以下は、彼女のリールです。

www.youtube.com

 

今回紹介した4名の方々について、全く知らなかったのですが、それぞれ、主役とはいえないまでも、各方面で活躍していることがわかりました。また、アジア系アメリカ人の様々な活動の存在も知ることができて勉強になりました。個人的には、Atsuko Okatsukaさんのファンになりました。今後、チェックしていきたいです。

日系人としては初のゆるキャラ、沖縄観光PRが仕事のハワイ出身の日系三世「マハ朗くん」、ハワイの日系移住の歴史とは。

沖縄観光PRの新キャラクターとして、日系人としては(たぶん)初のゆるキャラとなるハワイ出身の日系三世「マハ朗くん」が誕生しました。

 マハ朗くんは、うちなーんちゅ(沖縄県人)のおばあちゃんを持つ日系三世。2016年に沖縄で開催された「世界のウチナーンチュ大会」で「花笠マハエちゃん」(同じく沖縄観光のキャラクター)に一目惚れして来日したという設定です。

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travel.watch.impress.co.jp

www.youtube.com

 

ここで、ハワイ出身の日系三世「マハ朗くん」というキャラクター設定にある背景等について調べてみました。

 

1.ハワイの日本人移民について

ハワイには日系人がたくさんいることはご存知の方が多いと思います。アメリカの州でみると、ハワイ州カリフォルニア州に次いで日系人人口が多く、そして日系人が政治・経済等のいろんな分野で活躍している州でもあります。ちなみに、アメリカの日系人が130万人、うちハワイには24万人いると推定されています。

日本からハワイへの移民は1868年(明治元年)に始まったので、来年でちょうど150年。官約移民と言われる政府レベル(日本とハワイ王国)での移民が開始された1885年から本格化し、1924年に米国への日本人移民が禁止されるまで、約13万人の日本人がハワイへ渡ったとされています。

沖縄からハワイへの移住は、1899(明治32)年、契約移民26人に始まり、第2次大戦前の1938(昭和13)年までに約2万人がハワイへ移住しています。

ハワイには、「ハワイ日本文化センター」で日本人の移住の歴史を詳しく知ることができます。ハワイに旅行の際には是非訪問してみてください。

www.huffingtonpost.jp

私も含めハワイになかなか行けない方は、横浜の「海外移住資料館」が最適です。

ohatyuu.hatenablog.com

 

2.有名なハワイ日系人

多くに日系人が住むハワイには、政治経済等で活躍されている日系人がいらっしゃいます。その活躍は全米、または日本など。(沖縄系に限らず)以下に何人か紹介させていただきます。

(1) ダニエル・イノウエ: アメリカ初の日系人議員

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1924年にホノルルで生まれた日系二世。第二次世界大戦ではアメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属。ヨーロッパ前線で戦い、右腕を失う。その後、アメリカで最初の日系人議員となり、アジア系アメリカ人政治家の最高位まで昇りつめた。2012年12月、ワシントンD.C.で死去。最後の言葉は「アロハ(さようなら)」だった。死去に際して、オバマ大統領は「真の英雄を失った」「彼が示した勇気は万人の尊敬を集めた」との声明を発表している。

 

(2) エリソン・ショージ・オニヅカ: 日系人初のアメリカ航空宇宙局宇宙飛行士

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1946年、ハワイ州ワイ島コナで、コーヒー農家を営む家庭に生まれる。父は福岡県、母は広島県にルーツを持つ日系2世。アメリカ空軍の大佐で、日系人初のアメリカ航空宇宙局宇宙飛行士。1986年1月28日、スペースシャトル・チャレンジャーの搭乗運用技術者として搭乗し、チャレンジャー号爆発事故により39歳で殉職する。オニヅカ氏の功績を称え、ハワイ島「マウナケア展望台ビジターインフォメーションステーション」が「オニヅカセンター」と名付けられている。

 

(3) ジョージ・アリヨシ: アジア系アメリカ人として初めての州知事

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1926年、ホノルル生まれの日系二世。両親は豆腐屋経営を経て、クリーニング店を立ち上げ生計を立てたと言われる。戦後、東京でGHQの通訳を務めた経験を有する。大学卒業後は、ハワイで弁護士となった後、政治の道へ。下院議員、上院議員、副知事を経験した後、1974年から1986年にかけて第3代ハワイ州知事を務めた。日系アメリカ人として、またアジア系アメリカ人として初めて州知事となった人物。

 

(4) 与那嶺要: 日本プロ野球で戦後初の外国人選手

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1925年、マウイ島生まれの日系二世。少年時代は家業のサトウキビ畑で働く。俊足を買われ、1947年にアメリカンフットボールのサンフランシスコ・フォーティナイナーズに入団。しかし怪我により、1950年に野球に転向。マイナーリーグでプレーしたのち、1951年、日本のプロ野球へ。読売ジャイアンツと中日で活躍した。巨人時代はベストナインを通算7回受賞するなどの活躍で第2期巨人黄金時代を支えた。引退後は長く日本でコーチを務めた。2011年、ハワイで死去。

 

(5) ジェイク・シマブクロ: ウクレレ奏者

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1976年、ホノルル出身の日系5世。稲妻のような超速弾きと正確無比なテクニックを併せ持つ、ウクレレの達人であり、「ハワイのジミヘン」との異名を持つ。日本でも活躍、映画フラガール (2007年) やドラマ等の音楽を担当した。

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(5) 番外編:マカダミアナッツ・チョコの産みの親

ハワイのお土産の定番、世界ではじめてマカダミアナッツ・チョコレートを売り出した「ハワイアン・ホースト」社の創業者は、マウイ島出身の日系3世、タキタニ・マモルさんなのです。

タキタニ夫妻 123 マカダミアナッツ・チョコレート
創業者のタキタニ夫妻はハワイ出身の日系人   ハワイ土産の定番。ハワイアン・ホーストマカダミアナッツ・チョ

出典:海外移住資料館

 

3.「世界のウチナーンチュ大会」とは?

「マハ朗くん」がハワイから来日して参加したという設定の「世界のウチナーンチュ大会」は、5年に一度、沖縄から世界に移住した人たちや、その子孫である2世、3世たちが、沖縄に集まり、沖縄県系人のネットワークを構築し、次世代へそのアイデンティティを継承することを目的に行われています。2016年10月27日〜30日には第6回大会が開催され、28カ国・地域から7千人を超える人が集まりました。開会式で夏川りみネーネーズなどが、閉会式ではBEGIN、ディアマンテス大城バネサなど沖縄出身のミュージシャンが出演し、盛大な会となったようです。

wuf2016.com

 

4.まとめ

沖縄からの移住は、その人口に比して非常に多く、親戚の誰かが海外に移住しているとと言われます。今回紹介したハワイの他、アメリカ本土、南米のブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビアなどが多いです。ボリビアには沖縄からの移住者が中心となって開拓したオキナワ移住地もあります。

沖縄の方にとって、それほど移民が身近であり、世界各地にいるウチナーンチュが、今でも深い絆でつながっていると言えます。「マハ朗くん」もそのウチナーンチュの一人なのです。