訃報・神内良一さん、南米日系社会の医療・福祉等に多大な貢献
消費者金融プロミスの創業者の神内良一さんが、6月27日、亡くなりました。90歳でした。
神内さんといえば、ブラジルをはじめとした南米の日系社会の医療福祉等に多大な貢献をされてきた方です。1987年にプロミスの会長職を離れたのち、1989年に神内良一国際福祉事業所を開設、1997年には「日本国際協力財団」を設立し、発展途上国支援事業、日系支援事業を幅広く実施されました。
「日本国際協力財団」HPには、神内さんの日系移民への思いが以下の通りつづられています。
「少年時代は、当時流行していた「冒険ダン吉」に憧れ、20代には南米ブラジルへの移住を真剣に考える等、年少の頃から海外で飛躍する夢を持って育ちました。
(中略)
国策により南米に移住を余儀なくされた日系移民の方々の筆舌に尽くし難い苦労の歴史や、戦後中国に取り残された残留婦人の方々の悲惨さを直接、或は間接に見聞きするに及び若い頃の自分が抱いた夢の甘さを痛感させられ、益々こうした異国に生きる同胞の方々への支援の気持ちは強いものになってきました。日系移民の方々を支えてくれた南米各国や、中国国民の方々への報恩の気持ちが強くなる一方、こうした国々を訪れるにつれ、未だ世界の貧困に喘ぐ人々、恵まれぬ人々の存在の多さを実感するに及んで、国際福祉事業こそが私の天授の仕事であると確信し、この道に終生を掛ける決心をしました。」
「日本国際協力財団」のHPには、以下のとおり、これまでの日系社会支援の実績が記載されています。ブラジルの「サンパウロ日伯友好病院」や「アマゾニア病院」、ペルーの「移住百周年記念病院」など、重要な日系医療施設へ支援されてきたことがわかります。神内さんからの支援がなければ、ここまでの施設の充実は実現しなかったことでしょう。まさに、「日系社会の恩人」といえる方ですね。
「公益財団法人 日本国際協力財団」の事業概要(日系社会関連)
ブラジル連邦共和国
・サンパウロ日伯友好病院の増床及び医療機器支援
・サンパウロ日伯友好病院総合医療検査センター建設支援
・サントス厚生ホーム施設整備支援
・アマゾン日伯文化交流センター建設支援
・サンパウロ日伯援護協会に神内医療福祉基金設立
・アマゾニア病院医療施設整備支援
・カンポス肺療養所改装支援
・南米香川県人会館建設支援
・日系移民高齢者介護関連施設の拡充及び同施設維持運営のための基金の設立
・アマゾニア日伯援護協会に神内医療福祉基金設立
サンパウロ日伯友好病院
ペルー共和国
・ペルー新報社へのオフセット印刷機寄贈
・神内先駆者センター建設及び運営支援
・移住百周年記念病院建設支援
・移住百周年記念病院医療機器整備支援
・老人介護研修
・神内日秘高齢者支援センター建設支援
「ペルー移住百周年記念病院」
パラグアイ共和国
・神内日系社会福祉センター建設支援
・日系診療所医療機器整備支援
・神内日系社会福祉センター改修工事支援
「パラグアイ日系社会福祉センター(パラグアイ神内福祉センター)」
コロンビア共和国
・コロンビア日系人協会神内記念館(総合福祉施設併設)建設支援
・日本の伝統的武道の普及、国際交流を目的にした武道館の建設支援
ボリビア多民族国
・ボリビア農業技術センター(セタボル財団)再構築支援
・サンファン日ボ協会およびオキナワ日ボ協会への福祉基盤整備支援
二人の日系人が米球界入り:日系アメリカ人のケストン・ヒウラ内野手、日系ブラジル人のエリック・パルディーニョ投手
アメリカとブラジルから、将来有望な日系人が米球界入りすることになりました。アメリカではケストン・ヒウラ二塁手がミルウォーキー・ブリュワーズにドラフト指名され、そしてブラジルからはエリック・パルディーニョ投手がトロント・ブルージェイズと契約を結びました。今後、活躍が期待される二人の日系人選手の情報をまとめました。
1.ケストン・ヒウラ (Keston Wee Hing Natsuo Hiura)
●1996年8月2日生(21歳)
●カリフォルニア大学アーバイン校
●日系三世(父方の祖母が日本人。中国系でもある。)
ケストン・ヒウラ選手はバレンシア高校時代から好打者として注目されていました。高校三年次では打率.500、14本塁打、30打点を記録し、Player of the Yearにも選出。しかし高校卒業時にはMLBから指名されずカリフォルニア大学アーバイン校に進学。大学リーグでは1年生から活躍し全米大学選抜選手にも選出されました。その際、来日して全日本選抜と対戦しています。2017年シーズンは、56試合で打率.442、8本塁打、42打点。OPSは1260を記録。その活躍が高く評価されドラフト前から注目されていましたが、ミルウォーキー・ブルワーズから1巡目全体9位で指名されました。
しかし、ヒウラ選手は右ひじに故障を抱えており、トミー・ジョン手術を受ける可能性があります。打者としての高評価と、故障が完治すると見込んでの指名で、数年後のメジャーでの活躍が期待されます。
2.エリック・パルディーニョ (Eric Eiji Taniguchi Pardinho)
●2001年5月1日生(16歳)
●ブラジル国サンパウロ州バストス
●ヤクルト野球アカデミー
●母親が日系二世
エリック・パルディーニョ選手は2016年9月のWBC予選ラウンドのパキスタン戦で、15歳ながらも最速94マイル(約151キロ)を計測して、MLBのスカウトに注目されるようになりました。毎年有望選手をリストアップするMLBパイプラインの海外選手ランキングでもドミニカ共和国やベネズエラなどの選手に交じって5位にランクインしました(投手では最上位)。
エリックが生まれ育ったサンパウロ州バストスは、戦前からの日系入植地。今でも多くの日系人が住み、日系人の野球クラブが存在します。そこで8歳で野球を始め、12歳からはサンパウロ州イビウーナのヤクルト野球アカデミーで3年間、元広島の玉木氏などから、日本式の投球術を学びました。昨夏に行われたU-16パンアメリカ大会では、ドミニカ共和国代表相手に12三振を奪って勝利に貢献。その後、フル代表メンバーとしてWBC予選にも参加してポテンシャルを見せつけました。そして7月2日のMLBアマチュア契約解禁日を迎え、複数球団からオファーがある中、トロント・ブルージェイズと140万ドル(約1億6千万円)でマイナー契約。ESPNでも取り上げられるなど、ブラジルが誇るスピードピッチャーとして注目されています。
「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」の提言、「協力」から「連携」関係へ
外務省が開催した「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」において合計4回の会合を経て提言がまとめられ、2017年5月9日、外務大臣の代理として薗浦健太郎外務副大臣に報告書として提出されました。
「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」報告書の薗浦外務副大臣への提出(結果) | 外務省
今回の提言の主題は、日本と日系社会の関係を、日本の「協力」から、両者の「連携」に発展させること。報告書の内容は網羅的なものではありますが、強調されているのは、以下の3点だと考えます。つまり、これらは現時点での課題ともいえます。
1.次世代育成、日系団体に属していない日系人の取り込み
3.オールジャパンでの対応
1.次世代育成、日系団体に属していない日系人の取り込み
ブラジルやペルーでは、世代が4世、5世、6世まで伸張している中、各国の日系団体に属していない日系人も多くいます。その中には、各国の様々な分野で活躍している人材も多数含まれます。こうした日系人材にも、日本への関心をもってもらうような取り組みが必要です。主要な日系団体を活用することも行うべきですが、既存の枠組みにとらわれない柔軟なアプローチも必要と考えます。ペルーやアルゼンチンなど、既に若手日系グループが活発に活動しており、日本から直接そうしたネットワークにつながっていくことも重要です。
日本政府やJICA、地方自治体等が実施している日系事業は、どうしても対象が日系人に限定されているものがほとんどです。もともと、移住者支援から始まった事業であるためです。他方で、ブラジル等では、親日家・知日派の非日系人が、日本文化に関心を持ち、日系社会・日系団体の活性化にも貢献しています。政府の日系事業であっても、日系社会のためになるのであれば、非日系人にも対象を広げていくべきでしょう。必ずしも日本の「血統」にこだわる必要はないと考えます。
3.オールジャパンでの対応
外務省、農水省、文科省、JICA、国際交流基金、日本財団、地方自治体、大学、民間・NPO、海外日系人協会等、様々なアクターがおり、それぞれ(一部連携しながら)活動しています。日本と日系社会の各アクターが重層的に活動しながらも、よりダイナミックな関係を構築するために、強力な司令塔のもとでの連携強化が重要です。
今回の提言は、平成12年(2000年)の海外移住審議会からの意見以降で、はじめてとなるまとまった提言内容となります。17年前とは、日本、日系社会、そして在日日系人が置かれている状況は変わってきています。それぞれが活躍できる具体的な方策が、柔軟かつ迅速に実施されることを望みます。
この「中南米日系社会との連携に関する有識者懇談会」は、日本ではほとんどマスコミ報道されていませんが、ブラジルでは現地邦字新聞で取り上げられており、日系社会の期待も大きいです。
「日本語指導が必要な子ども」が4万3千人以上。そのうち日系人が多く、ブラジル政府も支援を検討。
文部科学省が公表した『日本語指導が必要な児童生徒の受入状況等に関する調査(平成28年度)』によると、「日本語指導が必要な児童生徒」は4万3千人以上(外国籍が3万4,335人、日本国籍が9,612人)で、前回調査よりも約6,800人(約18.5%)増加したという結果となっています。
日本語指導が必要な「外国籍の児童生徒」を母語別で見ると、前回調査と同様、ポルトガル語を母語とする者が 25.6%(前回28.6%)と最も多く、次いで、中国語が23.9%(22.0%)、フィリピノ語が 18.3%(17.6%)、スペイン語が 10.5%(12.2%)であり、これらの4言語で全体の 78.2%(80.4%)を占めています。特に、ポルトガル語とスペイン語を合わせると36.1%であり、このうち、ほとんどが中南米の日系人やその家族であると考えられます。
日本語指導ができていない理由としては、担当教員又は指導者がいない(不足を含む)と回答した学校が最も多い結果となっています。外国人集住地域以外でも外国籍の生徒が増えていることから指導者不足は深刻な状況と言えます。
このような状況下、ブラジル政府も「在日ブラジル人子弟の教育問題」に強い関心を持っています。現地邦字紙「ニッケイ新聞」によると、6月14日には、連邦上院の教育文化スポーツ委員会にて公聴会が開かれ、在日ブラジル人は言葉や文化の違いによる障害の大きさから、日本の教育機関への適応が難しいこと、そのため退学の問題が頻発し(日系人の中学卒業率は6~7割とも言われる)、さらにブラジル人子弟による不登校や非行を招いていることなどが、指摘されています。
その対策として、ブラジル教育省は、ブラジルの大学の日本語学科で学ぶ学生による「在日ブラジル人子弟への課外プログラム」を提案しています。具体的には、「学科の修了時に半年ほど奨学生として日本の大学で研修を受け、モニターとして子弟らが通う教育機関で放課後の補習プログラムや、ブラジル人向け保育園での研修を行なう」内容です。インターンやボランティアプログラムのような方式ですね。日本政府がブラジルの日系社会における日本語教育をJICAボランティアで支援しているのと同様に、ブラジル政府が在日ブラジル人を支援するというもののようです。
現在ブラジル国内の7つの大学で日語学科が設立され、毎年約150人が修了しているとのこと。また、日本にブラジル人学校は約70校(うちブラジル政府公認が30校)あるといわれています。日語学科修了者のうち、どの程度の人数が関心を持つのかわかりませんが、実現したら面白いプログラムです。日語学科の学生のみならず、ブラジルの日系人が日本でボランティアを行うプログラムがあってもいいと思います。
レオナルド松田、『Inner Workings』でブラジル人として初のディズニー監督に
ディズニー映画『モアナと伝説の海』を見た方も多いと思います(私も子供と鑑賞し、映像と音楽に感動しました)。そのモアナと同時上映されたのが、短編映画『インナー・ワーキング(Inner Workings)』です。主人公は、まじめにきっちりと内勤の仕事をこなす会社員のポール。彼の中の、常に同じように働くことを指令する「脳」と、自分の欲求に従って弾けてみたい「心」や「臓器」の葛藤が描かれた作品となっています。
動画を見ておわかりのとおり、主人公は、東洋人のような顔立ちをしており、日本人といっても違和感がないと思います。実は、この映画の監督は日系ブラジル人のレオナルド松田さん。ブラジル人初のディズニー監督として、母国のブラジルでも注目されています。
日本語のインタビューとしてはブラジルのニッケイ新聞が記事にされています。それによると、松田さんはサンパウロ州サンジョゼ・ドス・カンポス市出身の35歳。同市には1922年に日本人が入植し、日系人が多く住んでいる都市のひとつです。お父さんは一世、お母さんは三世とのこと。幼いころ、お母さんが日本に働きに行き、その仕送りで米国で勉強したというエピソードが掲載されています。松田さん自身はブラジル育ちです。
この映画で描かれている抑制的な「脳」と欲求に従いたい「心」という相反する2つの要素は、自身の日系ブラジル人というアイデンティティとも重なるもののようです。別のインタビューの中で(以下の記事や動画を参照)、日本人の規律正しく論理的な部分と、ブラジル人のカーニバルやパーティーが好きという両面が、自分の体の中で戦っている、と述べています。(“I have the Japanese side of me. It’s very disciplined and logical,” “And I also have the Brazilian side, which loves Carnival and parties. It’s like there’s a civil war going on in my body.”)
仕事と遊び、脳と心、日本とブラジル、こうした一見、相反する要素は、実は二つとも生きるために必要なものであり、むしろ二つそろって初めて充実した人生になるということですね。
レオナルド松田さんの今後の活躍を期待します。
中南米の日系人を描いた映画のまとめ(『エルネスト』が今秋公開されるので)
チェゲバラと一緒に革命に身を投じた日系ボリビア人を描く映画『エルネスト』が今秋10月に公開されます。フレディ前村という日系人の知られざる生涯を描いた日本・キューバ合作で、オダギリジョーの主演。キューバでの撮影、それからゲバラ本人が訪れた広島のシーンもあります。楽しみですね。
日系アメリカ人の映画はいろいろありますが、中南米の日系人を描いたものは多くはないので、主な映画を以下にまとめてみました。日本未公開のものも入れています。
『サンゴーヨン★サッカー』(2015年 日本)
群馬県大泉町と太田市を舞台に、日本人と日系ブラジル人との交流や友情などを描く作品。日本とブラジルの友好関係となる国道でのストリートサッカーのイベントを企画、そして実現するというストーリー。
『Silencio roto. 16 Nikkeis(破られた沈黙 16人の日系人)』(2015年 アルゼンチン)
アルゼンチン軍事独裁政権時代(1976~82年)に政治活動をしていた日系人数十人が「失踪」したまま。そのうちの16人について描いたドキュメンタリー映画。
『時折 グラミーニャの日系家族(Tokiori - Dobras do Tempo)』(2011年 ブラジル)
ブラジル・ミナスジェライス州郊外にある小さな集落グラミーニャに暮らす日系移民家族の軌跡を美しい映像とともにとらえ、歴史の波に翻弄されながらもたくましく生きる人々の姿を描くドキュメンタリー。
『孤独なツバメたち~デカセギの子供に生まれて~』(2011年 日本・ブラジル)
静岡県浜松市に、デカセギの親と共に来日した日系ブラジル人の青年たちの実態をとらえたドキュメンタリー。2008年秋、突然の不況で職を失い、帰国することになった5人の若者たちの2年半を追う。
『サウダーヂ』(2011年 日本)
不況によって中心街が“シャッター通り”と化した日本の地方都市を舞台に、そこで生きる土木労働者や日系ブラジル人など海外からの移民労働者の姿を通して、文化摩擦や差別、経済格差の問題を描く。現地で暮らす人々を数多くキャスティングし、生々しい街の姿を伝える。
『汚れた心(Corações Sujos)』(2011年 ブラジル)
ブラジルのベストセラーを基に、第二次世界大戦終結後、日系ブラジル人の間で実際に起きた「勝ち組、負け組の抗争」を題材に描いた作品。
『ブラジルから来たおじいちゃん』(2008年 日本)
サンパウロ在住、92歳のブラジル移民のおじいちゃんが、デカセギで日本に暮らす2世・3世を訪ねる旅のドキュメンタリー。
『PLASTIC CITY プラスティック・シティ』(2008年 中国 香港 ブラジル 日本)
アジアの才能たちが結集し、ブラジルを舞台に描くクライム・ドラマ。オダギリジョーがポルトガル語&中国語のセリフをこなし、サンパウロの裏社会で生きる青年を演じる。
『サルサとチャンプルー』(2007年 日本)
1920年代から1930年代にかけて、沖縄からキューバへと渡った日系移民1世とその末裔を追うドキュメンタリー。現地での彼らの受難の歴史をインタビューなどから解き明かす。
『GiNGA ジンガ』(2005年 ブラジル)
サッカーに人生を捧げる、あらゆる世代のブラジル人たちの日常を収めたオムニバス形式のドキュメンタリー。エピソード3:フットバレーを楽しむ日系ブラジル人のナタリー。
『Gaijin – Ama me Como Sou(ガイジン2―心の祖国)』(2005年 ブラジル)
笠戸丸移民のチトエから、彼女のひ孫で混血のヨウコまで四世代の日系女性の姿を通して、二十世紀のブラジルと日系コロニアの歴史を重層的に描く。
『漂流街~THE HAZARD CITY~』(2000年 日本)
日系ブラジル人のマーリオは、不法滞在の中国人の恋人ケイと共に日本脱出を図る。在日のチャイニーズマフィア・コウはケイに異常な執着をみせ、ふたりの行く手を阻む……。「不夜城」の馳星周の原作小説を三池崇史監督で描いた無国籍バイオレンス・アクション。
『KAMIKAZE TAXI』(1995年 日本)
組に反旗を翻した若いチンピラと、彼と逃亡を共にするペルー育ちの日系人との交流を描くロードムーヴィー。
『Gaijin - Caminhos da Liberdade(ガイジン1―自由への道)』(1980年 ブラジル)
100年前にブラジルに移民した日系人の姿をドキュメントタッチで描く。
『アンデスを越えて 南米の日本人たち』(1958年 日本)
南米に移住した日本人達を描く長篇色彩記録映画。「標高八、一二五メートル マナスルに立つ」の毎日映画社と「新中国縦断長篇記録映画 新しき大地」の光報道工芸の共同製作。一八五七年九月から十二月まで、太平洋岸のペルーにはじまり、アンデスを越えて大西洋岸に達する一万五千キロにわたる撮影行。豊富な現地録音が収められてある。
『ハルとナツ 届かなかった手紙』と野際陽子さん
女優の野際陽子さんが6月13日に亡くなられました。数多くのドラマや映画に出演されましたが、日系社会にとっては、2005年にNHKが放送80周年記念ドラマとして5回にわたって放送した『ハルとナツ 届かなかった手紙』のナツ役(平成編)が印象に残っているのではないかと思います。
このドラマは、1934年(昭和9年)、北海道からブラジル・サンパウロに家族とともに移民した姉のハル(9歳)と、眼病のため独り日本に残された妹・ナツ(7歳)の姉妹が主人公。ブラジルで移民として苦難の道を辿ったハル、戦中戦後の激動の日本で生き抜いたナツが、70年ぶりの再会を果たし、互いに書き送りながら「届かなかった手紙」によって離れ離れとなっていた70年間の歳月を埋めていきます。 ストーリーは平成編と昭和編が交錯しながら展開されていきますが、姉のハル役を斉藤奈々、米倉涼子、森光子、妹のナツ役を志田未来、仲間由紀恵、野際陽子のそれぞれ3人がリレーして演じています。
姉のハルと家族のような戦前のブラジル移住者は、その9割がコーヒー農園の契約労働者であり、慣れない南米の土地での厳しい環境で、重労働に耐えて困難の日々を送ったといわれます。ドラマにおいては、2ヶ月に及ぶブラジルロケによりコーヒー園や当時の住居をリアルに再現し、移住者の苦難がとてもよくわかるように描かれています。なお、800人を超える日系人のエキストラも参加しました。
ハルとナツという姉妹の人生を通じて、日本とブラジルの日本人史を描いた壮大なドラマともいえます。その中で、野際さんのクールながらも、姉を慕うナツ役は家族への愛情をしっかりと感じさせてくれる演技でした。涙なくては見られない良質のドラマでああると思います。この機会に是非。