日系カナダ人少年野球チーム「バンクーバー新朝日軍 」が二年ぶりに来日
日系カナダ人少年野球チームの「バンクーバー新朝日軍 (Asahi Baseball Asociation)」が二年ぶりに来日し、日本各国で親善試合を行っています。
「バンクーバー朝日軍」は1914年に日系移民二世の若者を中心に結成された野球チーム。白人チームと互角に戦い、過酷な労働や差別にあえぐ現地の日本人社会を勇気づけたと言われています。しかし、太平洋戦争が始まった1941年、選手達が戦時捕虜収容所や強制疎開地などに送られ解散しました。
その後、当時の活躍が再評価され2003年にカナダの野球殿堂入りを果たし、書籍化やそれを原作とした漫画化もされています。そして、2014年に妻夫木聡、亀梨和也らが出演した映画『バンクーバーの朝日』映画化され、日本でも注目されました。
「バンクーバー新朝日軍 (Asahi Baseball Asociation)」はこの映画化を機に再結成されたもので、2015年にも来日しています。今回は、奈良、京都、愛知、神奈川で試合を行い、3月26日に帰国する予定とのこと。
3月25日には、横浜スタジアムで地元のチームと親善試合を行います。ちなみに、バンクーバー市と横浜市は姉妹都市。
東京オリンピック・パラリンピックに向けて、スポーツでの日系社会と日本との交流も活性化することを期待します。
NYヤンキース カイル・ヒガシオカ捕手、今年活躍が期待される日系人選手
NYヤンキースの田中将大投手のチームメイトとして、またキャンプ期間中の女房役として注目を集めている日系人捕手がいます。日系四世のカイル・ヒガシオカ選手です。
ヒガシオカ選手は今年初めてスプリング・キャンプの40人のロースター入りをはたしました。今後、メジャーに定着できるでしょうか。
1.ヒガシオカ選手の経歴・生い立ち
カイル・ヒガシオカ選手は、1990年4月20日生まれの26歳。2008年ドラフトでヤンキースから7巡目、全体230位で指名されてプロ入り。これまでの8シーズンのプロ生活で未だメジャー経験はありません。日系4世で、日本語は話せないようです。New York Timesの記事によると、父親から日本語を覚えるように言われてきたことから、田中投手を日本語の先生としてコミュニケーションを積極的に取っているとのこと。
生年月日: | 1990年4月20日 (26歳) |
生まれ: | アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ハンティントンビーチ |
身長: | 6'1" (185cm) |
体重: | 190 (86kg) |
投打: | 右投右打 |
出身校: | エジソン高校 |
プロ入り: | 2008年ドラフトでヤンキースから7巡目、全体230位 |
2.2016年シーズンの活躍
2016年シーズンでのヒガシオカ選手は打撃でキャリアハイを記録しました。特にホームランはこれまで一桁であったものが、2Aと3Aで合計21本のホームランを記録。打率も通算で.276と好調を維持しました。そして、その活躍が評価されて、2017年キャンプの40人のロースター入りを果たしました。
チーム | クラス | 試合数 | AB | H | 2B | 3B | HR | AVG | OBP | SLG |
Scranton/Wilkes-Barre(INT) | AAA | 39 | 148 | 37 | 9 | 0 | 10 | 0.25 | 0.306 | 0.514 |
Trenton(EAST) | AA | 63 | 222 | 65 | 15 | 0 | 11 | 0.293 | 0.355 | 0.509 |
3.2017年シーズンの飛躍はあるか?
オープン戦では3月8日時点で9打数5安打2ホームランと好調を維持しています。
しかし、ヤンキースの捕手としては2016年シーズンにメジャーに定着し大活躍したゲーリー・サンチェスがいます。2016年は53試合で.299、20本塁打を記録した、ドミニカ共和国出身の24歳の若手捕手です。そのため、まずは、第2捕手のオースティン・ロマインの座を奪い、メジャー入りを目指すことなります。
ヒガシオカ選手はもともと守備には定評があり、特に強肩が評価されています。盗塁阻止率は30.2%と、サンチェスのマイナー時代の34.9%には劣るものの、ロマインの数字(マイナーで24.9 %、メジャーで21.7%)を上回っています。このまま打撃の好調を維持できれば、メジャー入りも夢ではありません。
4.日本人投手と日系人捕手のバッテリーへの期待
ヒガシオカ選手がメジャー入りして、田中投手とバッテリーを組むようなことになれば、メジャーリーグとして初めてとなる日本人・日系人バッテリーが実現するとのことです。日本人捕手としては、ご存じの城島健司さん、日系人捕手としては今年はブレーブスと契約したカート・スズキ選手がいますが、いずれも日本人投手とはバッテリーを組んだことがありません。
カート・スズキに次ぐ日系人捕手としてメジャー昇格、そして田中投手との日本人・日系人バッテリー誕生を期待したいです。
ちなみに、ヒガシオカ選手は、昨年11月に結婚されたそうです。頑張ってほしいですね。
NYY@NYM: Higashioka belts a solo home run to left
海外移住資料館「広島から世界へ」を訪問、「バンクーバーの朝日」の上西さんも広島県人
海外移住資料館で開催中の「広島から世界へ-移住の歴史と日系人の暮らし-」に、3月4日の開幕日に行ってきました。オープニングセレモニーは、なんと「ボリビアと日系社会」映画上映会と同じ時刻。(広島県人ではあるのですが諸事情あり)ボリビア映画のほうを優先して、セレモニー後、ゆっくりと企画展示のみを見させていただきました。
展示スペースの一角に、広島県人で有名人の方々の写真が掲示されていました。
何人か紹介させていただきます。
まずは銭村健一郎さん。日系人野球の父として有名な方で、その生涯は映画American Pastime「俺たちの星条旗」にもなっています。また、以前、日系人のフィールド・オブ・ドリームスという記事でも紹介させていただきました。二人の息子の健三と健四は広島カープに入団、特に健四は主力としてプレーしました。
次に、ジミー・ツトム・ミリキタニ(三力谷 勉)さん。「反骨のホームレス画家」とも称されます。ミリキタニの日常を追ったドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』は第二次大戦を経験した日系アメリカ人の現実を通し、正義について問いかける作品として反響を呼び、多くの映画賞にも輝いています。
そして、上西巧一さん。映画「バンクーバーの朝日」で有名な野球チーム「朝日軍」で唯一ご尊名の方。現在95歳。
上西さんについては、2月21日に放送された「世界の村で発見!こんなところに日本人」でも紹介されていました。
世界の村で発見!こんなところに日本人 スウェーデン&カナダ 2月21日
上西さんは、バンクーバー生まれの日系二世。日本で教育を受けるため5歳で一旦帰国したものの、11歳でお父さんが亡くなったため、再びカナダへ。17歳で朝日軍に参加し、一番打者として活躍。しかし、19歳の時、第二次大戦が始まり、日系人の財再没収、強制収容、そして朝日軍も解散。番組内では、朝日軍が本拠地にしていた野球場を訪問し、95才にもかかわらず、杖をバットのように振っていました。お元気です。
この企画展示のオープニングセレモニーでは、上西さんの親戚で、ジャズシンガーの上西千波さんのミニコンサートも開かれました。(ボリビア映画のため)コンサートを見ることができず、非常に残念。また、別の機会に上西さんの歌声を聞きたいと思います。
上西千波JAZZ Concert "Homecoming Day" Making Video
この企画展「広島から世界へ -移住の歴史と日系人の暮らし-」は5月28日まで、横浜の海外移住資料館で開催されています。是非、ご訪問してみてください。
マニー・ラミレスが四国ILの高知に、交渉人は日系人のザック・コルビー選手
あのマニー・ラミレスが日本の独立リーグでプレイするというニュースを聞いて当初は半信半疑でしたが、ついに所属球団である高知ファイティングドッグス(FD)から、3月7日夜に高知入りすると発表がありました。9日に高知市内で入団記者会見に臨み、10日にチームに合流する予定とのことです。衰えたとはいえ、メジャー通算555本塁打の実績を持っていますので、どのようなプレイを見せてくれるか楽しみです。
ラミレス7日夜に高知入り 9日会見、FDに10日合流|高知新聞
入団の経緯としては、2016年秋に同球団がアメリカでトライアウトを行ったのをきっかけにラミレス側がその存在を知り、“逆オファー”してきたということです。
この交渉にあたったのが、高知ファイティングドッグスに所属する日系人のザック・コルビー内野手。カリフォルニア出身。新聞報道によると、母と祖父が日本人、祖母も日系米国人ということです。米国ではFaulkner Universityでプレイし好成績を残しています。Zak Colby Baseball Statistics [2011-2013]
そして、子供のころからNHKの国際放送でよく見ていた日本のプロ野球(NPB)入団を目指して来日しました。
四国アイランドリーグplusでの3年間の成績は以下の通り。2015年には一塁手で、2016年は指名打者でそれぞれベストナインに選ばれています。個人タイトルにはあと一歩とどきませんでしたが、2016年はすばらしい成績を収めています。
チーム | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | |
2014 | 愛媛 | 75 | 270 | 5 | 48 | 2 |
2015 | 愛媛 | 66 | 284 | 5 | 28 | 5 |
2016 | 高知 | 61 | 321 | 7 | 41 | 3 |
地元高知の新聞によると、「ザックは米国での人脈が幅広く、性格も明るい上、大学でスポーツマネジメントを学んでおり『米国と日本を野球を通じてつなげたい』との思いを持つ日系3世。2015年に愛媛MPを退団した後、北古味副社長がFD入りを説得したのは、そうした彼の経歴、思いを加味してのことだった。(中略)ザック獲得は、球団の経営改善や存在価値を高めるための戦略であり、現に今回、ラミレス側がザックを頼って接触してきた。現在もメジャーやマイナー選手15人ほどが、『FDでプレーしたい』と話を持ち掛けてきているという。」。
ザック選手はFDの職員も兼務しているとのこと。スカウト的な役割も期待されているということですね。2017シーズンも一層の活躍を楽しみにしています。また、一度、実際のプレーしている姿も見てみたいです。
日本ハム栗山監督が日系人強制収容所を訪問。戦後活躍した多くの日系人も強制収容での苦難を経験。
トランプ大統領の移民政策が世界中で大きな議論となっている中、第二次大戦中の日系人強制収容の経験が注目されています。GoogleがHPにフレッド・コレマツ氏を登場させたのは日本でも大きなニュースとなりました。
それもあったのかどうかわかりませんが、日本ハムの栗山監督がキャンプの休日を利用して日系人強制収容所の一つであるアリゾナ州のヒラリバー収容所跡地を訪問したとのニュースが報道されれました。
ここは、以前の投稿でも紹介しました日系人の銭村健一郎親子が強制収容所の中に野球場を設営し、数少ない娯楽として野球を楽しんだ場所でもあります。野球が日系人の「望み」だったことにちなんで、先般、野球場などの総合運動施設が「ノゾミ・パーク」と命名されています。
ここで改めて、日系人強制収容所に関する情報を簡単にまとめます。日系人の収容所は合計11ヶ所存在していました。それ以外に、強制立ち退きを強いられた日系アメリカ人たちが、収容所に送られるまでのあいだ拘留されていた集合センターがカリフォルニア州等に16ヶ所設けられていました。
マンザナー強制収容所
収容所の名称と所在地、期間は以下の通りです。
地名 |
英語名 |
州 |
開設日 |
閉鎖日 |
ツールレイク |
Tule Lake |
カリフォルニア |
1942年5月27日 |
1946年3月20日 |
ポストン |
Poston |
1942年5月8日 |
1945年11月8日 |
|
マンザナー |
Manzanar |
カリフォルニア |
1942年6月1日 |
1945年11月21日 |
ヒラ・リバー |
Gila River |
1942年7月20日 |
1945年9月28日 |
|
ミニドカ |
Minidoka |
アイダホ |
1942年8月10日 |
1945年10月28日 |
ハート・マウンテン |
Heart Mountain |
ワイオミング |
1942年8月12日 |
1945年11月10日 |
アマチ |
Amache |
1942年8月27日 |
1945年10月31日 |
|
トパーズ |
Topaz |
ユタ |
1942年9月11日 |
1945年10月31日 |
ローワー |
Rohwer |
1942年9月18日 |
1945年11月30日 |
|
ジェローム |
Jerome |
1942年10月6日 |
1944年6月30日 |
|
クリスタル・シティ |
Crystal City |
テキサス |
1942年11月 |
1947年12月 |
強制収用を経験した日系人には戦後活躍した方も多くいらっしゃいます。主な方を記載すると以下の通りです。
イサム・ノグチ:芸術家(ポストン戦争強制収容センター)
ノーマン・ミネタ :商務長官、運輸長官(ハートマウンテン移住センター)
パット・モリタ:俳優(ツールレイク戦争移住センター)
ジョージ・タケイ:俳優(ツールレイク戦争移住センター)
銭村健一郎・銭村健三・銭村健四親:野球選手(ヒラリバー戦争移住センター)
フレッド・コレマツ: 権利擁護活動家(トパーズ戦争移住センター)
また、ケイティ・ペリーも支援した反トランプ移民政策のビデオに登場するハル・クロミヤさんはマンザナー強制収容所に入れられていたようです。ちなみに、このビデオの監督はアヤ・タニムラさんという日系人です。このビデオのメッセージのとおり、「同じ歴史の過ちを繰り返してはいけない」ですね。
広島カープ、オスカル仲尾次投手は、今年活躍できるか。
プロ野球はもうすぐキャンプイン。広島ファンとしては、今年も優勝への期待が膨らんで、今からシーズン開幕が楽しみです。
鈴木や菊丸など若手が台頭している中、広島カープのウィークポイントの一つとしてあげられるのが左ピッチャー。そこで期待されるのが、2年目のオスカル仲尾次投手です。
1.オスカル仲尾次投手の経歴
ブラジル・サンパウロ州生まれで、ヤクルト野球アカデミーなどを経て、高校卒業後に来日。白鴎大学で通算28勝と活躍しました。4年時の2012年にプロ志望届を提出するも指名されず、Hondaで野球を継続。2013年には、第3回WBCのブラジル代表に選出され、日本戦にも中継ぎで登板しています。その時には、井端にヒットを打たれるなど、敗戦投手となっています。Hondaでは中継ぎ・抑えとして3年間活躍し、2015年ドラフトで広島カープに6位で指名されました。
生年月日: 1991年3月28日 (25歳)
身長: 178 cm 体重: 78 kg
プロ入り:2015年ドラフト6位指名
2.2016年度の成績・振り返り
2016年は開幕1軍入りを果たし、3月27日の対横浜DeNAベイスターズ戦において、見事、同年の新人選手の中で最初にプロ初勝利を挙げました。母国ブラジルでも大きなニュースとなりました。
しかしながら、その後は好調を維持することができず打ち込まれる状況が続きました。4月後半には二軍落ちを経験、5月には一軍復帰したものの、7月には再び二軍に降格しました。ルーキーイヤーのオスカル投手は、スタートは素晴らしいものでしたが、浮き沈みが大きく、一年を通じて活躍することはできませんでした。また、日本シリーズにも残念ながら出場できずにおわりました。
【1軍成績】
23試合 2勝0敗0S 22.2イニング 32被安打 8四死球 13奪三振 16自責点 防御率6.35
【2軍成績】
17試合 1勝1敗2S 18イニング 24被安打 7四死球 8奪三振 9自責点 防御率4.50
3.2017年シーズンは?
オスカル投手の2017年は、古巣ホンダのある埼玉・川越市を拠点に自主トレを続け、元日も休まずにトレーニングを積んできたとのこと。2016年のドラフトでは3位で床田寛樹投手(21=中部学院大)が指名され、左腕の開幕1軍争いが激しくなるものと予想されます。スプリットやスライダーのキレとコントロールで勝負するタイプ。さらに磨きをかけて、ライバルに負けず、一軍キップを勝ち取ってほしいですね。
日系人のフィールド・オブ・ドリームス、野球施設等を「ノゾミ・パーク」と命名
以前、テレビ朝日の報道ステーション等でも「ゼニムラフィールド 日系人収容所のフィールドオブドリームス」として取り上げられたこともあるアリゾナ州収容所の野球施設。
日経新聞の記事によると、日系人の強制収容が始まった1942年から75年になるのを記念して、野球場3面とプールなどの現在の総合運動施設が「ノゾミ・パーク」と命名。収容所で許された野球が日系人の「望み」だったことにちなんだそうです。式典には、広島カープに在籍したこともある日系人の銭村健三さんも出席されました。健三さんのお父さんである健一郎さんがゼニムラフィールドを作った方。球場だけでなく、収容所にいる日系人で3部32チームもの野球チームを組織して日系人を盛り上げた。そのため、日系野球の父とも呼ばれています。
ベーブルースの左側にいるのが銭村健一郎さん
この健一郎さんの息子の健三さん、健四さんは戦後、広島カープに在籍。健三さんは1シーズンのみであったものの、健四さんはかなり活躍されたようです。カープファンながら、ほとんど知りませんでした。
日系人収容所のフィールド・オブ・ドリームス。ケビンコスナーが主演した映画「フィールドオブドリームス」はトウモロコシ畑の中に球場を作りましたが、ゼニムラフィールドは砂漠の中の球場でした。実はこの話も映画化されているのです。American Pastime「俺たちの星条旗」というアメリカ映画として。